マルク・ファン・ボメル
マルク・ファン・ボメル(Mark van Bommel, 1977年4月22日 - )は、オランダ、マースブラフト出身の元サッカー選手。サッカー指導者。同国代表でもあった。現役時代のポジションはMF。現在はベルギー・ジュピラー・プロ・リーグのロイヤル・アントワープFCの監督を務めている。 選手経歴1992年、後に義父となるベルト・ファン・マルワイクが監督を務めるフォルトゥナ・シッタートへ入団。翌シーズンには当時エールディヴィジ史上最年少の16歳と23日でデビューを果たして頭角を表すと、中盤の中心選手として出場機会を増やし、当時2部だったチームの1部昇格へ貢献。1999年にPSVへ移籍。リーグ優勝に貢献する活躍を見せるとともに、2000年10月7日のキプロス戦でオランダ代表デビューを果たした。 2000-01シーズンにはPSVのキャプテンとして攻守にわたって活躍し、リーグ連覇に貢献。一方で2002年の日韓W杯はオランダ代表が出場権を逃し、EURO2004では自身の故障で出場を辞退するなど不運に見舞われている。2004-05シーズンには自身最多となる14得点を挙げてリーグ優勝を果たすと共にUEFAチャンピオンズリーグではベスト4入りを果たした。 2005年7月1日、FCバルセロナへ移籍。しかし、シャビ、デコ、ラファエル・マルケスがおもに起用されたためレギュラーに定着には至らなかった。しかし、UEFAチャンピオンズリーグでは12年ぶりに決勝に進出。決勝のアーセナル戦ではスタメン出場を果たし、14年ぶりの優勝を経験した。 ![]() 2006-07シーズンはシーズン前のチームのアメリカ遠征にも参加したが、監督であるフランク・ライカールトに起用法を聞いたところ、「昨シーズンと同じくらいの出場時間かもしれないし、減るかもしれない」と言われた為、2006年8月27日にドイツのバイエルン・ミュンヘンに移籍。移籍金は770万ユーロ。9月23日の対アーヘン戦でブンデスリーガ初ゴールを決めると、30試合に出場し6ゴールを記録するなど期待に応える活躍を見せる。2008-09シーズンよりオリバー・カーンの引退により、ドイツ人以外ではチーム初となるキャプテンに就任した。 ドイツW杯以降は監督のマルコ・ファン・バステンとの確執から「今のスタッフが総退陣しない限り代表ではプレーしない」とオランダ代表からの招集を拒否していたが、EURO2008後に義父であるベルト・ファン・マルワイクが代表監督に就任したことで代表に復帰した。 2009年、資金難でリーグライセンス発行に苦心している古巣フォルトゥナ・シッタートのためにバイエルン・ミュンヘンとのチャリティーマッチを企画した。7500人の観客が来場し、売り上げが20万ユーロに達するなどイベントとしては成功したが、当のファン・ボメルは左太腿を負傷していたために出場できなかった[2]。 2011年1月25日、ACミランへ移籍した。契約期間は5か月、また契約解除のため、移籍金は発生していない。ミランでは4-3-1-2の中盤の底を務め、堅実なプレーを披露してチームの7年ぶりの優勝に貢献した。シーズン終了後、契約を1年延長した。 2012年5月14日、2011-12シーズン限りでの退団を明言。古巣PSVへの7季ぶりの復帰が決定した[3]。 ![]() EURO2012ではまさかの3戦全敗に終わり、6月19日にオランダ代表を引退した [4]。 2013年5月12日のシーズン最終節FCトゥウェンテ戦では2枚目のイエローカードを受けて退場処分、試合後に引退を表明した[5]。 指導者経歴2018年6月22日、PSVアイントホーフェンの監督に就任した[6]。 2019年12月16日、リーグ戦での低迷やUEFAヨーロッパリーグでのグループステージ敗退など成績不振に陥り、解任が決まった[7]。 2021年6月2日、VfLヴォルフスブルクの監督に就任[8]。しかし、開幕4連勝後は不振が続き、10月24日に解任された[9]。 翌2022 - 23シーズンから、ベルギーリーグのロイヤル・アントワープFC監督に就任。初年度から好成績を収めプレーオフに進出し、チームを66年ぶりのリーグ優勝に導いた[10]。 人物
個人成績
代表歴出場大会試合数
監督成績
獲得タイトル選手時代![]()
監督時代
脚注
外部リンク
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