ヤンデル・グスターブ
ヤンデル・フランシスコ・グスターブ(Jandel Francisco Gustave, 英語発音: /jɑnˈdɛl guˈstɑvi/[2]; 1992年10月12日 - )は、ドミニカ共和国ドゥアルテ州ピメンテル出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入りとアストロズ時代2010年5月25日にアマチュア・フリーエージェントでヒューストン・アストロズと契約してプロ入り。契約後、傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・アストロズでプロデビュー。14試合(先発5試合)に登板して0勝5敗、防御率8.20、27奪三振を記録した。 2011年もルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・アストロズでプレーし、14試合(先発1試合)に登板して0勝4敗、防御率12.10、19奪三振を記録した。 2012年にアメリカ本土へ渡り、ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・アストロズでプレー。10試合(先発4試合)に登板して2勝1敗、防御率5.79、22奪三振を記録した。 2013年はアパラチアンリーグのルーキー級グリーンビル・アストロズでプレーし、10試合に先発登板して2勝3敗、防御率2.68、49奪三振を記録した。 2014年はA級クァッドシティーズ・リバーバンディッツでプレーし、23試合(先発14試合)に登板して5勝5敗2セーブ、防御率5.01、82奪三振を記録した。 2014年12月11日に行われたルール・ファイブ・ドラフトでボストン・レッドソックスから指名され移籍したが、同日にトレードでカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[3]。 2015年3月24日にウェイバー公示された後[4]、26日にサンディエゴ・パドレスへ移籍[5]。さらに4月3日にルール・ファイブ・ドラフトの規定に従い、元球団のアストロズへ返却された[6]。この年はAA級コーパスクリスティ・フックスでプレーし、46試合に登板して5勝2敗、防御率2.15、49奪三振を記録した。 2016年はAAA級フレズノ・グリズリーズで開幕を迎え、8月10日にメジャー初昇格を果たし[7]、翌11日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビュー。最終的には14試合に登板し、防御率3.28・1勝とメジャー初勝利を挙げた。また、投球イニング15.1回を超える16三振を奪い、三振を取る力がある事を示した。なお、AAA級フレズノでは、47試合の登板で3勝3敗3セーブ、防御率3.79、23四球、55奪三振という成績を残した。 2017年は初めて開幕25人枠入りした[8]。6試合に登板した後、トミー・ジョン手術が必要となり、6月に同手術を受けた[9]。 2018年は前年の手術の影響で、シーズンを全休した。オフの10月30日にFAとなった[10]。 ジャイアンツ時代2019年2月13日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。開幕は傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツで迎え、7月18日にメジャー契約を結んだ。この年は23試合に登板して1セーブ、防御率2.96、17奪三振を記録した。 2020年8月2日にDFAとなり[11]、9日にマイナー契約となった[10]。 パイレーツ傘下時代2020年8月17日にピッツバーグ・パイレーツへ移籍したと報道され[12]、9月6日に正式発表された[10]。この年は新型コロナウイルスの影響でマイナーリーグの試合が開催されず、メジャーにも昇格しなかったため、公式戦の登板は無かった。 2021年は5月のマイナーリーグ開幕から傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンスでプレーした。 ブルワーズ時代2021年6月25日にサミュエル・エスクデロとのトレードで、トロイ・ストークス・ジュニアと共にミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[13]。移籍後は傘下のAAA級ナッシュビル・サウンズへ配属され、 7月7日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[14]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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