ヨアンダー・メンデス
ヨアンデル・マヌエル・メンデス・オルテガ(Yohander Manuel Méndez Ortega、1995年1月17日 - )は、ベネズエラ・カラボボ州バレンシア出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。CPBLの統一ライオンズ所属。 経歴プロ入りとレンジャーズ時代2011年7月にテキサス・レンジャーズと契約してプロ入り。 2012年に傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・レンジャーズでプロデビュー。14試合(先発13試合)に登板して2勝1敗、防御率1.99、35奪三振を記録した。 2013年はA-級スポケーン・インディアンスでプレーし、8試合に先発登板して1勝2敗、防御率3.78、23奪三振を記録した。 2014年はルーキー級アリゾナリーグ・レンジャーズとA級ヒッコリー・クロウダッズでプレーし、2球団合計で10試合(先発9試合)に登板して3勝1敗、防御率2.70、35奪三振を記録した。 2015年はA級ヒッコリーでプレーし、21試合(先発8試合)に登板して3勝3敗3セーブ、防御率2.44、74奪三振を記録した。オフの11月20日に40人枠入りした[1]。 2016年、マイナーではA+級ハイデザート・マーベリックス、AA級フリスコ・ラフライダーズ、AAA級ラウンドロック・エクスプレスでプレーし、3球団合計で24試合(先発21試合)に登板して12勝3敗、防御率2.19、113奪三振を記録した。9月2日にメジャー初昇格を果たし[2]、5日のシアトル・マリナーズ戦でメジャーデビュー(1.0回を5失点)[3]。この年メジャーでは2試合に登板して防御率18.00だった。 その後もメジャー定着できず、2017年は7試合、2018年は8試合、2019年は3試合の登板にとどまった。 2020年7月23日に40人枠を外れ、マイナー契約となった[4]。 メキシカンリーグ時代2021年2月25日にメキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約したが[5]、登板機会なく退団した。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加した。 2021年12月7日に北米の独立リーグであるアメリカン・アソシエーション(AA)のミルウォーキー・ミルクメンと契約したが[6]、AAシーズン開幕前の2022年3月1日にメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズと契約した[5]。 2022年は、15試合の先発で7勝0敗、防御率はリーグ唯一の2点台となる2.78を記録し、最優秀防御率、年間最優秀投手のタイトルを受賞した[7]。 巨人時代2022年12月12日、読売ジャイアンツに入団することが発表された[8]。登録名はヨアンデル・メンデスで、背番号は65[8]。単年契約で推定年俸は4000万円[9]。 2023年、開幕5戦目となる4月5日の横浜DeNAベイスターズ戦に先発して来日初出場を果たし[10]、5回1/3を5安打2失点で敗戦投手となった[11]。シーズン通算で16試合に先発登板し、5勝5敗、防御率2.07を記録した[12]。オフに残留が決定し[13]、推定年俸は1億円となった[14]。 2024年、開幕5戦目となる4月3日の中日ドラゴンズ戦に先発も4回4安打4四球4失点で敗戦投手となり二軍落ちとなった[15]。時を同じくフォスター・グリフィンも故障で登録抹消しており、先発候補の左腕助っ人外国人2人が立て続けに先発ローテーションから外れることになった[16]。5か月後、2度目の先発となった9月8日のDeNA戦は1/3回を2安打3四球4失点(自責点2)で敗戦投手となり、再び二軍落ちとなった[17]。同年は、前述した2試合のみの登板にとどまり、0勝2敗、防御率12.46となった[18]。シーズン終了後開催のWBSCプレミア12のベネズエラ代表に選出され[19]、対日本戦でもリリーフ登板した。 統一時代2024年12月28日、台湾プロ野球の統一ライオンズと契約した[20]。 投球スタイル196cmの長身から投げ下ろすチェンジアップが武器[21]。他には、スライダー、シンカーを投げ、ストレートの最速は153km/h[22]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録NPB
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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