ラエリウス・友情について![]() 『ラエリウス・友情について[1]』(ラテン語: Laelius de Amicitia)通称『友情について[2][3]』は、古代ローマのキケロの著作。前44年成立[4]。ラエリウスを主人公とする対話篇の形で、ラエリウスと小スキピオの友情や、アリストテレス倫理学のフィリア論を踏まえ、友情の素晴らしさを説く。 題名題名は『ラエリウス』で副題が『友情について』だったと推定されるが、現代では『友情について』が題名として扱われる場合が多い[5]。 背景成立→「ホルテンシウス § 成立」も参照
キケロ最晩年の前45年から前44年にかけて、『ホルテンシウス』を皮切りに成立した一連の哲学著作の一つにあたる[6]。具体的な成立時期は、前44年3月のカエサル死亡から11月の間頃と推定される[4]。 本作は、同時期頃に成立した『大カトー・老年について』の姉妹篇にあたる[6]。両作の共通点に以下がある[6]。
本作の背景には、キケロとアッティクスの友情や、死期を悟ったキケロからアッティクスへの遺言の面もあった[7][8]。前43年、実際にキケロは死亡し二人は死別することになった。 古代の友情論古代ギリシアでは「少年愛」と並んで、男性間の義兄弟的愛としての「友情」(友人間のフィリア、友愛)が讃美された[注釈 1][注釈 2][10]。この「友情」は、アキレウスとパトロクロスの逸話に顕著なように「死別」「惜別の念」とも深く関わった[10]。 ギリシア哲学では、この「友情」が伝統的な論題としてあった。例えば、プラトン『リュシス』『国家』、アリストテレス『ニコマコス倫理学』第8-9巻、『エウデモス倫理学』第7巻、クセノポン『ソクラテスの思い出』第2巻、キュレネ派、エピクロス派、その他『ギリシア哲学者列伝』などに伝わるピュタゴラス、アナカルシス、ソロンの箴言、シミアス、スペウシッポス、ペリパトス派のテオプラストス、クレアルコス、ストア派のクレアンテス、クリュシッポスらの佚書で、「友情」が論題となった[11][10][12]。 ローマ哲学でも、キケロの本作、セネカ『倫理書簡集』、アウグスティヌス『告白』のほか[13]、プルタルコスの随筆『似て非なる友について』『友人の多さについて』、ルキアノスの小説『トクサリスまたは友情』で論題となった[11][10]。 内容登場人物・場面登場人物は以下の3人である。いずれもキケロが理想視した小スキピオの知的サークル「スキピオ・サークル」に属する[14]。 本作は、キケロが若き日にスカエウォラから直接聞いた話、として記されるが、実際はほぼキケロの創作と推定される[注釈 3][15]。 時代設定は前129年、小スキピオの急死から数日後であり[15]、小スキピオの追悼から対話が始まる。時系列的には『大カトー・老年について』『国家について』の後日譚にあたり、『国家について』の復習的内容が含まれる[16]。 構成全104節からなり、以下に分けられる[6]。
思想他著作と同様、キケロは折衷主義的立場をとっている。一方で他著作と異なり、「ギリシア哲学をローマに紹介する」面が弱く、キケロの個人的著作の面が強い[17]。 扱われるトピックに以下がある。
トピックが重複するキケロの他著作として、『国家について』『トゥスクルム荘対談集』『義務について』などがある[19][7]。 本作の真のテーマは諸説あり「政治と友情[18]」とも「霊魂の不死[7]」とも言われる。 後世の受容2世紀、ゲッリウスは『アッティカの夜』で本作に言及し、本作が「友人のために不正を犯すことの可否」について曖昧に済ませていることを批判した[11]。 13世紀、ダンテはベアトリーチェの死後、ボエティウス『哲学の慰め』と本書を読んで感銘を受けた[25]。 16世紀、マテオ・リッチが漢文で書いた『交友論』は、本作を主な影響源とする[13][26]。『交友論』は西洋と中国の友情論を架橋し、明代中国の知識人に注目された[26]。 日本語訳新刊順
参考文献著者名順
脚注注釈
出典
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