リーガ・エスパニョーラ1944-1945
この項目では、1944-1945年シーズンのリーガ・エスパニョーラ (ラ・リーガ、プリメーラ・ディビシオン)について述べる。 リーガ・エスパニョーラ1944-1945は、スペインのプロサッカーリーグ、リーガ・エスパニョーラの14回目のシーズンである。 1944年9月24日に開幕し、1945年5月20日に閉幕。CFバルセロナ (現FCバルセロナ)が16年ぶり2回目の優勝を決めた。 レギュレーション
1944-1945年シーズンの昇降格
1944-1945年シーズンのリーガ・エスパニョーラのチームRCデポルティーボ・デ・ラ・コルーニャは1944年10月29日の第6節バレンシア戦から新スタジアムへ移転した[3]。 シーズンの流れ優勝争い王者バレンシアCFは「電撃フォワード陣」がリーグ2位の総得点61を叩き出すなど、相変わらず攻撃力のある事は数字的に証明した。だが12試合無敗を記録した昨季に比べて持続力が衰え、3連勝が1回・4戦無敗2回と5戦無敗が1回[5]。このペースでは連覇は無理だった。総得点が減ったレアル・オビエドCFは開幕3連勝・6戦無敗1回・5戦無敗1回と[6]、「負けない」事を重視した。だが、それでも王者バレンシアの順位をひとつ越え4位に入るのが精一杯だった。 内戦後の新勢力のもう1つ、アトレティコ・アビアシオンは開幕から出遅れ無敗も連勝も長続きせず。だが第13節から7戦無敗・第22節から3連勝[7] と、遅まきながら先頭集団に食らいつき3位。2年前の王者で最多5回の優勝を誇る「旧勢力」の大御所、アトレティコ・デ・ビルバオは好発進。第2節から6連勝で首位に立ち[8]、その後バレンシア戦・オビエド戦と連敗するが[9][10]、第15節まで首位と勝ち点タイで堪えていた[11]。 ここで先頭集団に躍り出たのが他の旧世代のビッグネームであるレアル・マドリードCFとCFバルセロナであった。Rマドリードは開幕戦でオビエドに惨敗[12]、第5節でビルバオに敗れるが[13]、そこから3連勝・5連勝を1回ずつ記録するなどして第14節に単独首位に立った[14][15][16]。対するバルサはリーグ最少の30失点の守備を武器に戦った。ロースコア勝負をかけ第2節から5戦無敗[17]、チャマルティンでの敗戦を経て[18]、以降3連勝した[19]。 第12節ビルバオ戦・第15節オビエド戦で大敗を喫するも[20][21]、この後6連勝と一気にフルスロットルに入り[22]、第17節に僅差で単独首位に立つと[23]、仕上げにラスコルツでRマドリードを5-0と大破[24]。勝ち点差を3に広げ当該対戦スコア5-1の優位も確立した。Rマドリードはこの大敗で3連勝を止められるも、すぐ切り替えて連勝に入った[25]。なお序盤の主役ビルバオは既に3位集団に吸収され、2強のペースについていけなくなっていた[26]。 バルサは第22節のダービー引分けで勝ち点差を2に詰められるが[27]、その後は連勝を続け[28]、第25節でラス・コルツにビルバオを迎えた。勝ち点差2を維持できれば当該対戦結果で優勝が決まるバルサは、前半にアズクラーとブラボの得点で2-1とリード。その頃Rマドリードは敵地で下位ムルシアに2点を先行されていたが、後半に入り60分までに逆転。その後3-3に追いつかれるが、3分後に再度勝ち越し73分にムニョスがダメ押し点を決め5-2とする。 しかしバルサも56分ゴンサルボ・60分セサール・ロドリゲス・62分アズクラーと立て続けに決め、後半のわずか7分間に5-1とビルバオを突き放す。終了間際にテルモ・サラに1点を返されるが、それは結末を変えるには余りに遅く、数分後ラ・コンドミーナとラス・コルツ両会場で終了の笛が鳴った。1929年の初代王者バルサの16年ぶり2度目、そして過酷な低迷を経て掴んだ内戦後初優勝を告げる笛だった[29][30][31]。 残留争い今季から入れ替え戦枠が一つ減って、中位には多少ゆとりのあるリーグになった。 開幕5戦未勝利のセグンダ王者レアル・ヒホンCFは3連敗を2度喫するが[32][33]、精神的ショックを受けるほどの大敗は無かった。後半戦は第16節から3連勝[34]、第21節から5戦無敗を維持、その締め括りにオビエドとのアストゥリアス・ダービーで6-0と圧勝し[35]、1節を残して残留を決めた[36]。負けないサッカーと失点を少なめに抑えるバランスがものをいった[37]。 そのヒホンを上回る7回のリーグ最多引分け数で粘ったRCデポルティーボ・デ・ラ・コルーニャだったが、既に失点数の増加に歯止めがきかずリーグワースト2位の62失点。第2節から6戦未勝利[38]、第9節から8戦未勝利[39]。その後に初の連勝で一時12位に浮上したが[40]、第19節から3連敗[41]、最下位に沈んだ。RCムルシアとの対戦成績の優位でわずかに11位の可能性は残ったが[42][43][44]、最終節でCDサバデルCFに敗れ他チームの結果に関係なく最下位で自動降格した[45][46]。 そのサバデルは昨季最終節で劇的な自動残留を果たしたが、今季は後半戦に入っても調子が上がらず。第13節デポル戦の勝利を最後に、5連敗を含む12試合未勝利のトンネルに入り[47]、失点もリーグワースト67に達した。未勝利の幕引きとなった第25節、11位回避を目指していたRCDエスパニョールに0-7の大敗を喫して入れ替え戦の可能性も消滅、自動降格が決定した[48][49]。 そのエスパニョールが3年連続で巻き込まれた入れ替え戦回避の争いは、他に昇格組RCムルシア、残留力に定評のあるグラナダCFらが中心となった。今季のエスパニョールは途中で監督を変えずに戦ったが、第4節から5試合未勝利[50]。第13節から4連勝し9位まで這い上がるが[51]、3戦未勝利2回で第23節終了時には11位に戻っていた[52][53]。 続く第24節にカステリョンを5-1で下し[54]、ムルシアとの当該対戦成績で10位浮上[55]。前節苦杯をなめさせられたグラナダが代わりに12位へ転落した。しかしグラナダは第25節で昨季王者バレンシアに2-1で勝ち[56]、Rマドリードとの打ち合いに敗れたものの当該対戦成績で辛うじて11位を維持したムルシアに追い縋った[57]。なお、この時点で意外にも10位に落ちていたセビージャ[58][59]、そしてエスパニョールもグラナダとの当該対戦成績により11位回避が確定した[60][61]。 最終節は勝ち点19で並ぶムルシアとグラナダの「一騎打ち」となり、当該対戦で劣るグラナダは[62][63]、何とか勝ち点で上回る以外に11位浮上の手段は無かった。既に残留を決めたエスパニョールは17分にザガーラが先制弾を決めムルシアを1点リード。そうなるとサン・マメスでビルバオと対戦したグラナダの動向が問題となるが、前半だけでベナンシオとパニーソの得点で0-2と先行されていた。 後半もムルシアは追いつけず、グラナダの状況も51分・78分のサラの2得点で0-4と悪化した。最早ムルシアにやるべきことは無く、グラナダが79分にニコラの得点で一矢を報いて両会場で試合が終わった[64][65]。当該対戦以外はグラナダと全く同じ7勝5分14敗と低迷したが、しかし2度目の挑戦で初めてムルシアは残留に成功、逆にグラナダは昨年までのように最後で辻褄を合わせられず、二度目の入れ替え戦行きが決定した[66]。 結果順位表
勝敗表自動昇格チーム
入れ替え戦プリメーラ・ディビシオン12位のグラナダCFがセグンダ・ディビシオン1944-1945・3位のレアル・クルブ・セルタ・デ・ビーゴと中立地マドリードで対戦した。
得点ランク・記録得点ランキング
ハットトリック
最少失点ゴールキーパー
できごと
出典
外部リンク
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