ル・ディスペンサー男爵ル・ディスペンサー男爵(英語: Baron le Despencer)は、イングランド貴族の男爵位。過去に5回創設されており、いずれも議会招集令状(Writs of summons)による爵位であり、男子がない場合に姉妹間に優劣のない女系継承が行われる。3期以外は2020年現在まで現存しており、1期・2期・4期のものはファルマス子爵ボスコーエン家、5期のものはリットン伯爵リットン家に保有されている(5期は初代以外ル・ディスペンサー男爵として議会招集を受けておらず、デ・ジュリ(法令上)の概念)。 1264年の議会1264年12月24日に第6代レスター伯爵シモン・ド・モンフォールの反乱で招集された議会にル・ディスペンサー男爵として議会招集を受けたが、この議会は合法性に疑問があり、一般的にはこれにより世襲男爵位が創設されたとは考えられていない[1][2]。
ル・ディスペンサー男爵 第1期 (1295年)1295年6月24日に上記ヒューの息子である大ディスペンサーがル・ディスペンサー男爵として議会召集された[1][3]。
1398年に私権剥奪解除。1357年創設第4期ル・ディスペンサー男爵参照 ル・ディスペンサー男爵 第2期 (1314年)1314年7月29日に大ディスペンサーの子である小ディスペンサーもル・ディスペンサー男爵として議会招集される[1][4]。これは現代の扱いでは父と別に小ディスペンサーに新規にル・ディスペンサー男爵位が創設されたものとみなされる。
1398年に私権剥奪解除。1357年創設第4期ル・ディスペンサー男爵参照 ル・ディスペンサー男爵 第3期 (1338年)大ディスペンサーと小ディスペンサーの私権剥奪が解除されることなしに1338年11月15日に小ディスペンサーの長男ヒューがル・ディスペンサー男爵として議会招集された。現代の扱いではこれは新規に創設されたものとされる。彼が子供なく死去したことで廃絶した[5]。
ル・ディスペンサー男爵 第4期 (1357年)大ディスペンサーと小ディスペンサーの私権剥奪が解除されることなしに小ディスペンサーの次男の息子エドワードが1357年12月15日にル・ディスペンサー男爵として議会招集された[1][6]。現代の扱いでは第4期のル・ディスペンサー男爵位とされる。1398年に大ディスペンサーと小ディスペンサーの私権剥奪が解除されたため、第1期と第2期のディスペンサー男爵位もこの4期のル・ディスペンサー男爵が形継承したと考えられる。
1400年からの私権剥奪は1461年に解除されるも保持者不在(abeyance)。 ル・ディスペンサー男爵 (1264年/1295年)1604年5月25日にル・ディスペンサー男爵の保持者不在が解除され、4期2代男爵トマスの娘イザベルの子孫であるメアリー・フェインがル・ディスペンサー男爵を継承した。1264年創設のル・ディスペンサー男爵とされたが、1264年の議会は現代の見方では公式な議会とはみなされていない。1604年当時にはこの概念がなかった[1]。1891年以降ファルマス子爵と継承者を同じくして現在に至っている[7]。
ル・ディスペンサー男爵 第5期 (1387年)1387年12月17日に大ディスペンサーの次男の孫にあたるフリップ・ル・ディスペンサーがル・ディスペンサー男爵として議会召集されたのに始まる[8][9]。しかし彼の子孫たちは生存中にル・ディスペンサー男爵として議会に召集されておらず、以降はデ・ジュリ(法令上)の概念の爵位である[8]。1529年に6代男爵がウェントワース男爵として議会召集されて以降ウェントワース男爵と一緒に継承されていく。1957年以降はリットン伯爵位と継承者を同じくしている[8]。
系図1期-4期のル・ディスペンサー男爵ル・ディスペンサー男爵(1期-4期)の系図
5期のル・ディスペンサー男爵ル・ディスペンサー男爵(5期)の系図
出典
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