ロアル・ヨケルソイ
ロアル・ヨケルソイ(Roar Ljøkelsøy、1976年5月31日 - )はノルウェー、オルクダル出身の元スキージャンプ選手である。 プロフィール1993年3月に16歳でワールドカップデビューするが若い頃はさほど目立った実績はなかった。 1994年地元リレハンメルオリンピック代表に選ばれるも団体戦4位の成績を残したのみであった。 1995年12月10日のプラニツァのラージヒルで個人戦初めて表彰台(2位)にあがる。 1997年、自国トロンハイムでの世界選手権ではノーマルヒル24位、ラージヒル6位、団体5位だった。 1998年長野オリンピックではノーマルヒル40位、ラージヒル9位、団体4位に終わる。 1999年の世界選手権(オーストリア、ラムサウ)でノーマルヒル25位、ラージヒル13位、団体6位。 2001年の世界選手権(フィンランド、ラハティ)でノーマルヒル20位、ノーマルヒル団体8位、ラージヒル団体7位。 2002年ソルトレイクシティオリンピックではノーマルヒル18位、ラージヒル32位、団体では韓国にも及ばない9位に終わる。しかしフィンランド人のミカ・コヨンコスキがナショナルチームのヘッドコーチに就任してからヨケルソイとノルウェーチームの成績が向上する。 2003年1月25日、札幌(日本)でワールドカップ初優勝。26歳のときである。このシーズンの総合で自身初の一ケタ順位となる9位となった。彼はこの札幌・大倉山ジャンプ競技場と相性がよく、通算11勝のうち5勝をここであげており、2007年の世界選手権でも不調のシーズンにありながら個人銅メダル・団体銀メダルを獲得している。2003年世界選手権(フィンランド、ラハティ)ではノーマルヒル18位、ラージヒル22位、団体戦では出番がなかった。皮肉にもノルウェーチームは1993年以来久々のメダルを獲得する。 2003/04シーズンは札幌で2連勝するなど合計7勝しヤンネ・アホネンに次ぐ総合2位となる。合計ポイントはアホネンと10点差で、これは2014/15シーズンに総合優勝したゼヴェリン・フロイントと同点ながら勝利数の差で総合2位となったペテル・プレヴツに次ぐ僅差である。またプラニツァ(スロベニア)で行われたスキーフライング世界選手権で個人・団体の2冠に輝いた。伝統のホルメンコーレンスキー大会でも初優勝を飾っている。 2004年の4月には長男が誕生した。2004/05シーズンも好調でノルディックスキー世界選手権ラージヒル個人銀メダルと団体銅メダル獲得しワールドカップの総合でも2年連続の2位となった。 2006年のスキーフライング世界選手権(オーストリア、クルム)で2大会連続の2冠になって勢いをつけると続くトリノオリンピックでノーマルヒル銅メダル、ラージヒル4位、団体銅メダルを獲得した。 2006/07シーズンのザコパネ大会の2位がワールドカップ最後の表彰台で、2010年3月に引退した。 外部リンク
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