2001年ノルディックスキー世界選手権2001年ノルディックスキー世界選手権大会は2001年2月15日から25日までの11日間、フィンランド、ラハティで開催されたノルディックスキーの世界選手権。同地では1926年、1938年、1958年、1978年、1989年についで6回目の開催。18種目(クロスカントリースキー11種目(12種目予定の内1種目は中止)、ノルディック複合3種目、スキージャンプ4種目)が行われた。 ハイライト
競技結果日本代表選手の記録は全日本スキー連盟による[1]。 クロスカントリースキー男子15km(クラシカル走法)2001年2月15日 フィンランドのヤリ・イソメッサは4番目にゴールしたがドーピング検査で陽性となり記録抹消
男子20kmパシュート(10kmクラシカル+10kmフリー)2001年2月17日 フィンランドのヤリ・イソメッサは2番目にゴールしたがドーピング検査で陽性となり記録抹消
男子30km(クラシカル走法)2001年2月19日
男子個人スプリント(1.0kmクラシカル走法)2001年2月21日
男子リレー2001年2月22日 フィンランドチームは1番目にゴールしたがヤンネ・イモネンがドーピング検査で陽性となったので記録抹消となった。
男子50km(フリー走法)2001年2月25日
女子15km(クラシカル走法)2001年2月15日
女子10kmパシュート(5kmクラシカル+5kmフリー)2001年2月18日
女子10km(クラシカル走法)2001年2月20日
女子個人スプリント(1.0kmクラシカル走法)2001年2月21日
女子4x5kmリレー2001年2月23日
ノルディック複合個人 (ノーマルヒル K90/15km)2001年2月15日
団体 (ノーマルヒルK90/4x5km)2001年2月20日
スプリント (ラージヒル K116/7.5km)2001年2月24日
スキージャンプ個人ラージヒルK1162001年2月19日 当初の予定は2月18日13:00からの競技予定であったが強風の影響で2月18日18:00からに延期、しかし強風が収まらず2月19日18:00から実施となった。
ラージヒル団体K1162001年2月21日
個人ノーマルヒルK902001年2月23日
ノーマルヒル団体K902001年2月25日
ドーピング論争4人の男子選手(ヤンネ・イモネン、ヤリ・イソメッサ、ハッリ・キルヴェスニエミ、ミカ・ミュルレ)および2人の女子選手(ミラ・ヤウホ、ビルピ・クイトゥネン)6人のフィンランド選手は「ラハティ6」として、いくつかのクロスカントリースキー出版物で言及され[2][3][4][5][6][7][8][9] 、スキー界に多大な影響を及ぼした。 彼ら6人はいずれも、禁止薬物であるヒドロキシエチル澱粉(HES)の陽性反応を示した。最初に発覚したのは2月15日の15kmクラシカルで4位に入ったヤリ・イソメッサでゴール後の検査で陽性を示し再検査でも陽性だったため15日から2年間の出場停止となり17日のパシュートで獲得した銀メダルは剥奪された。続いて2月26日にイモネンが陽性反応を示して2年間の出場停止処分を受けた。カリ=ペッカ・カイロ元男子チーム監督は記者会見で組織的なドーピングを認め、チームドクター2人と女子チームの監督も関与しており、地元開催の大会で最高の成績を得るため誤った方法をとってしまったと述べた。フィンランドスキー連盟のエサ・クリン会長が3月6日辞任した。出場停止期間中にキルヴェスニエミは引退した。 クイトゥネンは、2008年現在、「ラハティ6」のうち唯一の現役選手であり、2006年のトリノオリンピックにて女子チームスプリントで銅メダルを獲得、2007年世界選手権(札幌)で3つの金メダルを含む4つのメダルを獲得した。 ヒドロキシエチル澱粉(HES)は増血効果のある薬物でこれを投与することにより血中のヘモグロビンを増加させ、持久力を向上させるものである。 前年に禁止薬物のリストに挙げられていたが、その当時は検出技術が確立されておらず、そのためフィンランドチームは使用に踏み切ったが世界アンチ・ドーピング機構(World Anti-Doping Agency)は大会直前に検出技術を完成し、これに6選手が引っかかった。 この事件は、2002年のソルトレイクシティ冬季オリンピックのオリガ・ダニロワ、ラリサ・ラズチナ、およびヨハン・ミューレックが処分されたドーピング違反、2003年のノルディックスキー世界選手権におけるカイサ・バリスのドーピング違反とともに国際オリンピック委員会と国際スキー連盟がドーピングに対して取締りを強化する要因となった。ドーピングに対する懸念は、トリノの2006の冬季オリンピックの開会式と閉会式でも強調された。 国別獲得メダル数
脚注
外部リンク |
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