ロベルト・センシーニ
ロベルト・ネストル・センシーニ(Roberto Néstor Sensini, 1966年10月12日 - )は、アルゼンチン出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代主にセンターバックを務めたが、ボランチ、両サイドバック、等、ディフェンシブなポジションなら何処でもこなすユーティリティープレーヤーであった。 クラブ経歴ニューウェルズ・オールドボーイズでキャリアをスタート、1987-88シーズンのリーグ優勝をディフェンスの要で迎える。翌シーズン終了後にウディネーゼ・カルチョへと移籍、ワールドカップを挟み、4シーズン半プレーした。1993-94シーズン途中、ジョルジュ・グルンの負傷離脱により、急遽パルマACへ移籍する[1]。ここでチームのディフェンスの要としてプレー。1993-94シーズンにUEFAカップトUEFAスーパーカップを優勝。1998-99シーズンにコッパ・イタリアとUEFAカップ制覇の2冠を経験する。パルマでは通算269試合に出場した[2]。 翌シーズンSSラツィオでスクデットを獲得。その後パルマへ戻り、2シーズンを過ごした。その後古巣ウディネーゼへと復帰し、ディフェンスの要として活躍。2005-06シーズン途中に選手兼監督就任の要請を受けるも、監督業一本に絞るために現役を引退。2006年1月8日にカリアリ戦で挙げた、39歳88日での現役最後の得点は、セリエAでプレーした外国人選手としての最年長ゴールとなった[3]。 代表経歴代表としては1987年のドイツ戦でデビュー、その後ディフェンスリーダーとして、FIFAワールドカップに3大会連続(1990・1994・1998)で出場した。 1990年大会は決勝ではペナルティーエリアで西ドイツのルディ・フェラーを倒してしまい、PKを献上、これをアンドレアス・ブレーメに決められて、アルゼンチンはワールドカップ連覇を逃した。1996年にはオーバーエイジでアトランタオリンピックに参加、決勝でナイジェリアに敗れたが、銀メダルを手にした。2002 FIFAワールドカップ・南米予選にも出場したが、本大会メンバーからは外れた。 指導者経歴2006年2月10日、当時監督ライセンスを持っていなかったセンシーニは、セルセ・コズミの後任としてウディネーゼをロリス・ドミニッシーニとの共同監督として率いるも、低迷を阻止する事は出来ず、シーズン途中で退任しクラブを去った。 その後アルゼンチンに帰国し、2007年にはディエゴ・シメオネの後任としてエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタの監督に就任した。2009年からは2011年までは古巣ニューウェルスで指揮を執った。 2012年2月21日、CAコロンの監督に就任。 代表歴出場大会
試合数
脚注
外部リンク
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