ワスゲン・サルキシャン・アンヴァン・ハンラペタカン・マルザダシ
ヴァズゲン・サルキシャン・アンヴァン・ハンラペタカン・マルザダシ(アルメニア語: Վազգեն Սարգսյանի անվան Հանրապետական մարզադաշտ、直訳:ヴァズゲン・サルキシャン共和国スタジアム)は、アルメニアの首都エレバンにある多目的競技場である。また、ハンラペタカン・スタジアム(アルメニア語: Հանրապետական մարզադաշտ; Hanrapetakan Stadium、直訳:共和国スタジアム)と呼ばれることがある。 ソ連時代の1933年から2年かけて建築、1935年にディナモとして開場した[1]。第二次世界大戦終結後の1953年に、サッカーアルメニア代表の本拠地および様々なサッカーの試合に対応するための、最初の修繕工事を実施した。座席数を14,400席にした[2]。 歴史![]() ソ連時代の1935年、ディナモとして開場した。1999年の改修工事後にハンラペタカン(アルメニア語: Հանրապետական մարզադաշտ; Hanrapetakan Stadium、直訳:共和国スタジアム)に改称した。同年12月28日に、国民議会襲撃事件で暗殺された時の首相ヴァズゲン・サルキシャンの功績を称えるため、ヴァズゲン・サルキシャン・アンヴァン・ハンラペタカン・マルザダシに改称した。現在サッカーアルメニア代表の他、プレミアリーグ所属のウリセスFCの本拠地でもある。 1995年に大改修を計画したが、財政難により延期させられた。1999年にUEFAからの財政支援を受け、300万ドル(約339億円[3])以上を投じ、座席の改良等の大規模改修に着手した。2000年末に竣工、スタンド全体に座席を設置することとなった。 1999年12月28日、大統領令によって名称を現在のヴァズゲン・サルキシャン・アンヴァン・ハンラペタカン・マルザダシに改称した[4]。ヴァズゲン・サルキシャンとは、ナゴルノ・カラバフ戦争時の義勇兵部隊「エルクラパ」の隊長で、1995年から99年までは国防大臣、1999年6月11日から国民議会襲撃事件で暗殺される10月27日まで首相を務めた人物である。 2008年の改修工事では、イスラエルのGreen Diversified Ltdという企業が請け負った。 ピッチの全面張替え、VIP室の改修、UEFA基準に合致した最新の警備システムを導入した[5]。 2008年8月末、新しいピッチで一戦を交える準備が整った。そして新たにVIP室を設置した結果、収容人数が14,968人から14,403人に減った。 入場記録
ギャラリー
脚注
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