三上次男
三上 次男(みかみ つぎお、1907年(明治40年)3月31日[1] - 1987年(昭和62年)6月6日[1])は、日本の東洋学者、考古学者。日本学士院会員、東京大学名誉教授、出光美術館理事、中近東文化センター理事長。号は「白水子」[1]。 経歴
1907年、京都府宮津町(現・宮津市)で生まれた[2]。小学5年生まで宮津で過ごし[2]、その後、家族と共に北海道へ移住した。東京帝国大学文学部東洋史学科で学び、1932年に卒業[1][3]。東亜考古学会の留学生として、中華民国に渡り、東洋美術や考古学の勉学に励んだ[1]。
1939年、東京大学文学部講師に就いた[1]。1949年に同教授昇格[1]。この時期、鎌倉アカデミアでも講義した。1951年5月から9月にかけて、皇居に招かれて歴史関係の科学委員会合に出席。昭和天皇及び他の委員を前に清の康煕帝について進講した[4]。1961年、学位論文『満鮮原始墳墓の研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得[5]。1967年、東京大学を退官し[1]、同大学名誉教授となった[1]。 同1967年4月からは青山学院大学教授(- 1977年まで)[1]。東宮家(現:皇室)の東洋史教師も務め、世界史教科書の編纂にも多く関わった。さらに理事を務める出光美術館でも週末に講義を行った[注釈 1]。1986年、日本初のトルコ古代遺跡発掘隊隊長を務めた[1]。学界では、1986年に日本学士院会員に選出された[6]。 1987年に死去。墓所は、出光美術館初代館長の出光佐三(出光興産創業者)、鎌倉アカデミアの同僚の三枝博音(横浜市立大学学長)や高見順(作家)と共に、鎌倉の東慶寺にある。 委員・役員ほか受賞・栄典研究内容・業績専攻は東洋史(特に東北アジア史)・騎馬民族国家の研究や、東洋陶磁器史で著名。特に後者は東西交流の研究(海のシルクロード)における「陶磁貿易史」を開拓した。1950年代以降は、エジプトなど地中海・紅海地域や、イランなど西アジアや中近東各国、日本各地で、陶磁研究での窯跡遺跡等の発掘調査を多く行った。なおこの方面での著作(生前刊行)は、図版解説が主であった。
収集した資料は出光美術館ほかに収められており、「三上次男コレクション」となっている。
家族・親族三上家は北前船の運営に関わった元結屋で、生家はその親族にあたる[注釈 2]。 著作
三上次男に関する著作脚注注釈出典
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