三本 和彦(みつもと かずひこ、1931年?[注釈 1]12月22日 - 2022年7月16日)は、日本のモータージャーナリスト。有限会社 三信工房 代表。日本自動車ジャーナリスト協会名誉会員[3]。日本写真家協会会員[1]、日本自動車研究者&ジャーナリスト会議(RJC)名誉会員[1]。
来歴
東京都出身[1]。埼玉工業大学の前身である東京商工学校機械工学科[注釈 2]を経て、1954年、國學院大學政経学部経済学科を卒業した[1]。1956年、東京写真大学(現在の東京工芸大学)写真技術科を卒業した[1]。
1956年から1967年まで東京新聞の写真部記者として活動するかたわら[1]、学生時代のアルバイトを通じて小林彰太郎と知り合った縁から、1962年に創刊された『カーグラフィック』の写真撮影を務めた。
その後、1970年に多摩美術大学附属多摩芸術学園(現在の多摩美術大学)写真科専任講師を経て[1]、有限会社 三信工房を設立し、フリーランスのフォトジャーナリスト、モータージャーナリストとなる。
1972年にはNETテレビ(現在のテレビ朝日)の番組「13時ショー」の司会を担当した[1]。
1977年から2005年まで、「新車情報」(テレビ神奈川)の司会者となり、終了まで28年間担当した[1][4]。
1989年にはBBCの「Top Gear」でミニ30周年記念イベントを取り上げた際、英語でインタビューを受けている。また、「全国こども電話相談室」(TBSラジオ)の回答者(1980年 - 1997年)[1]や、同じくラジオ番組「三本和彦の自動車王国」のパーソナリティとしても活動した。2005年には「The・サンデー」(日本テレビ)のコメンテーターを務めた。
2005年10月25日から11月12日まで、モータファンダイアリーズ - コラム&エッセイ-<新車情報よもやま話> で「新車情報」を降板した本当の理由を明らかにし反響を呼んだ。
2022年7月16日、転移性肝がんのため東京都内で死去した[5]。90歳没[注釈 3]。
人物
家族・親族
愛車遍歴
以下は、「おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE! #46 三本和彦」による[11]。
- 1948年 17歳 たま電気自動車
- 1950年 19歳 ダットサン トラック
- 1954年 23歳 オオタ KC
- 1957年 26歳 シトロエン 2CV
- 1958年 27歳 スバル 360
- 1960年 29歳 マツダ R360 クーペ
- 30代 - 40代
- 日産 ブルーバード
- トヨタ パブリカ
- 日産 セドリック
- 日産 ブルーバード SS
- 日産 ブルーバード SSS
- 日産 サニー
- ホンダ N360
- 日産 ブルーバード
- 日産 フェアレディZ
- 日産 サニー
- 日産 スカイライン 2000GT
- いすゞ フローリアン
- トヨタ カローラ
- シムカ 1000
- 1975年 44歳 日産 セドリック
- 1981年 50歳 ダイハツ ハイゼット アトレー
- 1982年 51歳 三菱 パジェロ
- 1990年 59歳 ホンダ NSX
- 1992年 61歳 トヨタ クラウン
- 1993年 62歳 トヨタ クラウン マジェスタ
- 1994年 63歳 メルセデス・ベンツ・Cクラス
- 1996年 65歳 メルセデス・ベンツ・Cクラス
- 1997年 66歳 メルセデス・ベンツ・Cクラス
- 1998年 67歳 トヨタ プリウス(初代)
- 1999年 68歳 スバル レガシィ
- 2000年 69歳 トヨタ プログレ
- 2003年 72歳 ホンダ FIT
- 2004年 73歳 トヨタ プリウス(2代目)
- 2006年 75歳 トヨタ プリウス(2代目)
- 2007年 76歳 トヨタ プリウス(2代目)
- 2009年 78歳 トヨタ プリウス(3代目)
- 2010年 79歳 ホンダ FITハイブリッド
- 2012年 81歳 フォルクスワーゲン ポロ
その他にも、メルセデス・ベンツ・190シリーズ、三菱・ストラーダ(ラリー参戦用として)、トヨタ・カリーナ(ディーゼルエンジン)を所有していたと、ベストカーや新車情報で執筆・発言している。
出演
テレビ番組
ラジオ番組
主な著書
- 『世界最長ラリーに挑戦して』(二玄社)
- 『お金のかからないクルマの使い方』(光文社)
- 『三本和彦・もう黙っちゃいられネエ』(三推社)
- 『三本和彦・怒りのサンドバッグ』(立風書房)
- 『クルマからみる日本社会』(岩波新書)
- 『辛口クルマ選び徹底ガイド』(日本文芸社・毎年刊行)
- 『『いいクルマ』の条件』(NHK出版)
- 『三本和彦、ニッポンの自動車を叱る』(二玄社)
- 『言わずに死ねるか!日本車への遺言』(講談社)
脚注
注釈
- ^ 資料によっては1930年生まれと表記されている[1]。三本によれば、第二次世界大戦で戸籍原本が散逸し、戦後父親が書き間違えて1年若くなってしまったという[2]。
- ^ 一部資料では東京商工学校機械工学科卒業とある。
- ^ ベストカーWeb、共同通信及び東京新聞では91歳と記されている[5][6][7]。tvkの追悼番組「ご意見番 三本和彦が見つめた クルマの過去・現在・未来」では享年91歳と表記された[7]。
- ^ プリンス・スカイラインGT。
- ^ 多くのフランス車。
- ^ BMW328ciクーペの回で、ダンパーを長年変えずに乗っている車の乗り心地に対して(決してBMWの乗り心地に対して語ったわけではない。三本はBMWの乗り心地に対して、ロープロファイルタイヤを履いているのが信じられない程乗り心地がいいと語っていた)。
- ^ エリマキトカゲミラージュ(2代目C10系)のスタイリングに対して。
- ^ トヨタ2代目カムリ&初代ビスタ(SV10系)のスタイリングに対して。
- ^ 「紅葉マーク」を蔑称したものであり、放送後警視庁から呼び出しを受けている。彼の後、多くの自動車雑誌も「落葉マーク」と蔑称していた。
- ^ トヨタ・MR2(初代AW系)の右側リアクォーターパネルに取り付けられたエアインテークダクトに対して。
- ^ ホンダ・ストリーム(初代RN1型)のテールランプのデザインに対して。
- ^ 日産自動車の経営再建に邁進したCEOのカルロス・ゴーンに対するコメントと思われる。
- ^ SUV等で見られる片側だけの補助フェンダーミラーを指して(テレビ神奈川「新車情報」で発言)
出典
外部リンク