梶原しげるの本気でDONDON梶原しげるの本気でDONDON(かじわらしげるのほんきでどんどん、1991年12月までは「梶原茂[1]の本気でDONDON」)は文化放送で1988年4月11日 - 2000年3月31日に放送したラジオ番組。放送時間は月 - 金曜 11:00 - 13:00。文化放送の報道部が制作した。 概要スタッフがその日の朝に決めた、ニュース性の強いテーマについて、2時間かけて広く深く、多角的に掘り下げていく番組。「ニュースの向こうに何かがみえる 我らニュースの探検隊」をキャッチフレーズに[2]、身近なニュースから世間を揺るがす大事件まで、ニュースの疑問に体当たりする番組構成だった。また、当日発生した事件や事故をテーマに取り上げることもあり、速報性という面でも非常に強かった。 さらに、構成と探検隊長の梶原しげるの巧みなトークによる、独特のスピード感を持った聴きやすさ。探検隊員と呼ばれるスタッフたちが、スタジオのトーク中でも、サイレンつきキーホルダーの音(この音を繰り返す)を鳴らして飛び込んでくるスタイルや、梶原自身による生電話インタビューの多用など、種々の工夫がちりばめられていた。事件の関係者や、時には当事者が電話で生出演することも多々あり、ラジオならではの機動性が生かされていた。 本番組では、そのニュースの当事者や近い人物に素朴な疑問を振って解き明かすことを「NEWSING」(ニューズィング)、日替わりのコメンテーターやゲストキャスターを「ニューズィング・パーソン」とそれぞれ称していた(後述)[2]。 こうした工夫により、ワンテーマを2時間にわたって広く深く掘り下げる番組が番組として成立したという意味で、日本の報道史上、特筆すべき番組といえよう。ただし、大きなニュースがあった場合を除いて、第一木曜日は弁護士の遠藤誠による「愛と誠の人生相談」をレギュラー企画として放送した。 当番組開始以前、月 - 金曜の11時台は『陳平のトクする11時』(1981年4月6日 - 1982年10月1日)、『小倉智昭のとことん気になる11時』(1984年4月2日 - 1987年4月3日)と報道部主体のワイド番組が編成されており、その形式を発展させた生ワイドだった。 音楽は当時、既に懐かしい存在だったフルバンドジャズを多用していた。 タイトル番組開始当時の文化放送は、『DONDON』に続けて、『吉田照美のやる気MANMAN!』(13:00 - 15:00)、『いう気リンリン 那智チャコワイド』(15:00 - 17:00)を放送していた。つまり、当時の文化放送は11:00 - 17:00まで、「○○気」、および「DONDON」「MANMAN」「リンリン」という繰り返し語をタイトルに付けた、3つのワイド番組を連ねていたことになる。ちなみに『やるMAN』は『DONDON』よりも1年先に放送を開始している。 なお、「繰り返し語」「気が付く」については、以上の3番組のほかに『えのきどいちろう意気揚々』『野村邦丸の気分はZUNZUN!』(『那智チャコワイド』の二代後の番組)があり、『DONDON』『やるMAN』を含めた繰り返し語、「気」付き4番組が、平日8:30 - 17:50に並ぶ時期(1999年4月 - 2000年3月)も存在した。 パーソナリティアシスタント
主なニューズィング・パーソン他の番組で「コメンテーター」と称される出演者を、このように呼んでいた。
探検隊員他の番組で「リポーター」と称している出演者や、制作・技術スタッフをこの様に呼んでいた。当番組はディレクター、放送作家が頻繁に登場した。このうち、主に中継先で、リポートやインタビューを担当する者については梶原が愛称を付けて、スタジオからの呼び掛けに応じて登場する際には、愛称にちなんだテーマ ミュージックが流れた。 ※担当当時は全員、文化放送アナウンサー。
番組の進行オープニングで、ニューズィング・パーソン(コメンテーター)を紹介し、しばらくフリートークした後、『ニュースの向こうに何かがみえる! 我らニュースの探検隊! まず最初のコーナーは「NEWSING DONDON」』というキャッチフレーズを宣言して、番組が始まる。アシスタントが提供スポンサー名を述べた後、CMを挟んで、テーマ発表。同時に、番組がテーマにちなんだ、様々な疑問を「疑問その1」から、3つほど列挙する。一部コーナーを挟みながら、テーマに関するトークを始める。 12時台初めに、ストレートニュースを内包しており(「主なタイムテーブル」参照)、この部分のみ、NRN加盟局の一部にネットしていた。ネット時間は局によって異なる。現在、高知放送と宮崎放送がネットしていた時期があることが判明している。 なお、当番組の前に放送していた『えのきどいちろう意気揚々』の放送中の10時40分頃、探検隊がスタジオに飛び込んでくるのと同じスタイルで、サイレンの音を鳴らしながら、梶原が出演し(その時、えのきどと梶原の両者が「ああ、どうもどうもどうもどうも」という挨拶から話を始めるのが「お約束」になっていた)、今日のテーマについて話をして、FAX募集の告知を行っていた。なお、臨時ニュースが飛び込み、『本気でDONDON』のテーマに設定するときは「お約束」は無く、梶原がニュースの経過を報告し、『本気でDONDON』でも伝える旨を予告することが多かった。 エピソード
番組終了後の動き梶原が全日制の大学院で心理学を学ぶことになり、スケジュールの都合で当番組は終了した。最終回のエンディングでは梶原がスタッフ全員の名前を読み上げた。 後枠は編成を刷新して『陳平&寺ちゃんのハッピートゥモロー』となり、放送時間も10:00 - 13:00の3時間となった。寺島尚正(文化放送アナウンサー(当時))が後に『寺ちゃんの飛び出せ!ハッピータウン』で同番組に内包する形で独立。それに伴い、野末陳平のパートナーが寺島から藤木千穂(文化放送アナウンサー(当時))に変更した。 梶原は当番組の終了後、平日帯 朝ワイド番組『チャレンジ! 梶原放送局』のパーソナリティを務めた。梶原は同番組の開始に伴い、平日昼から平日朝に移行したがTBSラジオとニッポン放送の朝ワイド番組に苦戦。番組は短命に終わった。番組終了後、当番組と同じ趣旨の企画をインターネットで続行したが、こちらは間もなく終了した。 2006年11月9日の『くにまるワイド ごぜんさま〜』で木曜レギュラーコメンティストの重松清が急遽 欠席したため、「プチ」本気でDONDONを放送。リスナーからの素朴な疑問がメール、FAXで次々と寄せられ、概ね好評だった。番組内で、当時の探検隊 呼び出し音が復活した。 これを受けて、同番組では2007年2月19日から2月23日までの1週間、「野村邦丸の何気にDONDON」という形で復活。ゲスト コメンティストには梶原を出演させるという念の入れ様だった。 『ごぜんさま〜』ではこの後、2007年4月、6月のスペシャルウィークでも「野村邦丸の○○でDONDON」と(○○にはテーマが入る)称して特集した。 『竹内靖夫の電リク・ハローパーティー』で、パーソナリティの竹内靖夫と石川真紀(いずれも文化放送アナウンサー(当時))が「是非、復活して欲しい番組だ」と発言しており、文化放送の社内では根強い人気が未だにある模様。 当番組との関連性はないが2009年のA&Gの番組で、桃井はるこが「繰り返し語」をヒントにレギュラー番組のタイトルに用いていた。 2012年には『文化放送2012 本気でLON!DON!』と銘打った、ロンドンオリンピック関連のホームページを開設。同タイトルを番組タイトルとして、現地からのリポートを交えて放送した。 2020年9月28日より、平日帯 夕方ワイド番組『斉藤一美 ニュースワイドSAKIDORI!』の番組リニューアルに伴い、当番組で使用していた取材記者を指す「探検隊員」の名称と電子銃の効果音を第1週のみ復活した[4]。 2022年4月1日、文化放送 開局70周年ウィークの一環として、復活特番を放送した。放送時間は同日 15:30 - 17:45。梶原、伊藤、井崎がパーソナリティを務めた。 特別編成毎年9月1日の防災の日は全国38局ネットで、「防災の日スペシャル」を放送していた(この番組終了後の「防災の日スペシャル」は文化放送の平日帯ワイド番組を担当しているアナウンサーが引き続き担当していたが、2004年以降は太田英明が毎年担当している)。また、「防災の日スペシャル」以外にも不定期で、全国ネットの単発番組。もしくは『キユーピー・メロディホリデー』のため、放送が休止となっていた。 サッカー日本代表の試合の中継の影響で、12時からの放送開始となった時はテーマを、サッカー関連にしたことがあった。 1991年 - 1992年頃、文化放送が祝日編成「10days(7days)スイング・ホリデー」を実施した際は比較的、柔らかめの特集を多く組んでいた。 主なタイムテーブル
関連書籍『梶原しげるの本気でDONDON-われらニュースの探検隊-』
脚注
外部リンク
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