上田康太
上田 康太(うえだ こうた、1986年5月9日 - )は、東京都青梅市出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 来歴プロ入り前小学生時代はヴェルディ川崎の下部組織である読売サッカークラブで、中学時代は柏レイソル下部組織でプレーしたが、高校からは磐田のユースチームに加入。3年次は当時トップチームの中心選手だった名波浩と同じ7番を背負いキャプテンを務め、トップ下や左サイドでもプレーをしていたが、基本ポジションは当時からミッドフィールダー(ボランチ)であった。 ジュビロ磐田2005年にジュビロ磐田のトップチームに昇格。翌2006年の夏からレギュラーに定着した。中盤の底やトップ下、更にはそのサイドチェンジ能力を買われて左サイドバックでの起用も多かった。北京五輪代表候補にも選出。彼を登用したアジウソン元監督からも「彼は将来の日本代表に欠かせない選手になる」と評価され、2010年のヤマザキナビスコカップ獲得にも貢献した。 大宮アルディージャ2011年、磐田からの契約延長を断って獲得オファーのあった大宮アルディージャに完全移籍した。加入初年度は31試合に出場したが、翌2012年からは出場機会が激減した。 ファジアーノ岡山2014年3月、出場機会を求めファジアーノ岡山へ期限付き移籍[1]。新天地ではレギュラーの確保に成功し、35試合に出場した。 ジュビロ磐田復帰2014年12月29日に2015年より5年ぶりにジュビロ磐田へ復帰することが発表された[2]。背番号はユース時代と同じ7番[3] で、ゲームキャプテンを担当している[4]。同年5月9日に行われた水戸ホーリーホック戦で磐田復帰後初ゴールとなるバースデーゴールを挙げた。また、磐田の選手としての得点は1701日ぶりとなった[5]。2015年シーズンは36試合に出場し、ジュビロのJ1昇格へ貢献した。 2016年シーズンは控えにまわる事が多かったが、J1-2nd最終節・ベガルタ仙台戦の前半4分、FKからシーズン初得点を挙げた。自身の得点が決勝点となり、磐田をJ1残留に導いた[6]。この得点は「相手GKとほとんど駆け引きすることなく自分の間合いで蹴り込んだゴール」「ボールのスピード、コース、パワー、どれをとっても完璧であり、まさにお手本ともいえるフリーキック」と評価され、11月度の月間ベストゴールを受賞[7]。2017年シーズンも控えが多かったが、J1第9節・北海道コンサドーレ札幌戦では、今シーズン磐田に加入したFKの名手である中村俊輔がシーズン初の欠場となったが、後半20分に自身のFKがゴール左上に吸い込まれ、同点弾を挙げた[8]。 ファジアーノ岡山復帰2018年シーズンから完全移籍でファジアーノ岡山へ復帰する事になった[9]。3シーズンにわたってレギュラーを務めたが、2020シーズン終了後に契約満了による退団が発表された[10]。 栃木SC2020年12月31日、栃木SCへ加入[11]。2021年シーズン終了後、契約満了により退団した[12]。 クリアソン新宿2022年1月3日、JFLに所属するクリアソン新宿へ加入した[13][14]。 2023年11月10日に、2023シーズンをもって現役を引退することが発表された[15]。 所属クラブ
個人成績
タイトル
代表歴
出演ミュージック・ビデオ
脚注
関連項目外部リンク
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