下川誠吾
下川 誠吾(しもかわ せいご、1975年11月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 人物中学生の時にサッカーを始める[1]。その後は北陽高校を経て、桃山学院大学に進学し体育会サッカー部に入部。2年次(1995年)の夏にセレッソ大阪の練習に参加し[1]、翌1996年にC大阪に加入した。武田治郎や武田亘弘らを抑え、110試合連続先発出場を果たすなど[1] 長年正GKを務めていたが、2003年途中から若手の多田大介の台頭により出場機会が減少。シーズン終了後に戦力外通告を受け、C大阪を退団した[1]。 2004年、川崎フロンターレへ移籍[2]。同年は終盤に吉原慎也に代わってレギュラーとなった。J1昇格した2005年は開幕戦含め3試合連続で先発起用されたが、第4節以降は相澤貴志が正GKとなり、その後はリーグ戦の出場機会は無かった。契約満了により同年を以て川崎を退団[3]。 2006年、西川周作以外のGKが全て退団していた大分トリニータに移籍[4]。同年は控えとしてのベンチ入りが中心であったが、シーズン終盤に西川が負傷離脱しリーグ戦4試合に出場した。2007年は西川の負傷やそれに伴うコンディション不良もあって、レギュラー奪取に成功し23試合に出場した。 2008年の序盤はカップ戦要員で、リーグ戦では中々出場機会を得られずにいたが、西川の北京オリンピック代表選出後はその代役を務め、五輪終了後の9月13日の浦和レッズ戦で西川が負傷離脱[5] すると、以降は正GKを務めた。11月1日の清水エスパルスとのナビスコ杯決勝にも出場し、無失点に抑え優勝に貢献した。 2009年はリーグ戦は西川が全試合フル出場を果たした為プロ1年目以来の出場無しに終わり、ナビスコ3試合・天皇杯1試合の出場にとどまった。ただ、天皇杯2回戦横河武蔵野FC戦ではPK戦にて3本のシュートを止める活躍を見せ、勝利の立役者となった[6]。 J2に降格し西川がサンフレッチェ広島に移籍した2010年は、背番号を1に変更。リーグ中盤戦まで先発出場を続けるも、後半からは清水圭介の台頭により出場機会が減少。シーズン終了後に戦力外通告を受けた[7]。 同年限りで現役を引退し、ヴィッセル神戸アカデミースクールコーチに就任[8]。 2024年からは神戸からの指導者派遣として、神戸学院大学サッカー部監督に就任した。 所属クラブ
個人成績
※1996年は変動背番号制
タイトルクラブ
指導歴
脚注
関連項目外部リンク
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