関西大学北陽中学校・高等学校
関西大学北陽高等学校・中学校(かんさいだいがくほくようこうとうがっこう・ちゅうがっこう)は、大阪府大阪市東淀川区上新庄一丁目にある私立高等学校・中学校。 概要1925年、関西大学第11代学長山岡順太郎の実子である山岡倭により、北陽商業学校として創立。建学の精神は「知徳体の調和のとれた人間の育成」。 校名の北陽は、北に神崎川を隔てて遠く千里の山並みを仰ぎ、東の遙か淀川の彼方に生駒の連峰を望む学校所在地の地勢に因む。「山の南を陽と名づく」という古辞により、千里山の南(陽)、淀川の北に位置する学校という主張である[1]。 2007年度までは北陽高等学校の名称で、学校法人福武学園が経営していた。学校法人福武学園は2008年4月に学校法人関西大学と合併することが、2007年3月15日に合意された。生徒数減少に悩んでいる北陽と、併設校を増やしたい関西大学の意向が一致したことが、合併の合意につながった。それに伴って2008年度から関西大学の併設校となり、校名も関西大学北陽高等学校に変更した。 元々は男子校であったが、2008年の合併と同時に、2008年度入学生から段階的に男女共学へと変更し、2010年度には関西大学北陽中学校を併設、中高一貫教育を開始した。 校舎の北側には、東海道新幹線が通っておりまた、校舎の南側には、阪急京都本線が通っている。 沿革
設置学科・コース
クラブ活動と実績高等学校野球部1970年代は大阪私学7強のうちの1校であった。選抜で1回準優勝している。
高等学校サッカー部1926年に創部、全国大会へ35回出場。全国高等学校サッカー選手権大会では1973年に優勝、全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会では1973年に準優勝、1978年に優勝している。 高等学校ハンドボール部
高等学校陸上部駅伝は大阪府代表男子予選では2009年、かつて大阪男子代表として31年間も連続出場していた、清風高校の32連覇を止め、関大北陽として初優勝を成し遂げ、全国高等学校駅伝競走大会[2] に初出場した。全国大会には6回出場している。 アクセス著名な出身者野球サッカーハンドボール格闘技その他スポーツ芸能その他
不祥事一部の生徒が、関西大学への内部進学の合否判定に用いられる民間実施の模試の正解を、インターネットを通じて事前入手していたことが、2018年7月に判明。これを受け関大は、選考の公正性が害されるとして、併設3高校からの内部進学者の合否判定を見直すことにした[3]。関大としては、問題の発覚した模試について、結果を選考に用いないことにしたが、民間の模試を合否判定に用いていた大学側にも責任があるとして、不正受験した生徒についても、選考から除外しないとした[4]。 脚注
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