下曽根駅
下曽根駅(しもそねえき)は、福岡県北九州市小倉南区下曽根一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅である[1]。駅番号はJF06。 北九州市小倉南区の中心駅で、周辺は商業施設や北九州市郊外の住宅地が広がり、小倉駅まで所要時間15分と近いこともあり、通勤通学時間帯を中心に利用客が多い。 2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は5,920人であり、JR九州の駅としては第26位である。日豊本線の駅としては大分駅に次いで2番目に多い[4]。 歴史
爆発事故
戦時中、下曽根駅から陸軍航空本部福岡支所(当時の支所の住所地は「小倉市大字曽根町大字横沼」)までの1,400mの区間に、火薬類などを運び入れる専用線があった。戦後の1946年(昭和21年)5月4日午前10時30分頃、この支所に集積してあった爆弾が突然爆発し、約一昼夜に亙って爆発が繰返され1人が即死、6人が行方不明、16人が重軽傷を負ったほか、家屋6戸が焼失、6戸が全半壊、約1,000戸もの窓ガラスが割れるなどの大惨事となった。その爆発音は筑豊地区まで届いたという。この爆発により、駅も爆発物の破片によって窓ガラスは全て割れ建物の壁は崩れ落ちるという大損害を受けた。幸いこの爆発の際には火薬を載せた貨物列車や旅客列車をすぐ避難させたため、駅での負傷者は出なかったという。しかしながら専用線はレールがぐにゃぐにゃに曲がり、停まっていたはずの貨車3両は跡形もなく消し飛んでいた。この爆発事故については未だ事故原因が不明だが、爆弾の集積所近くで子供の遺体が見つかったことから、打ち上げるとパラシュートが開きその風圧で信管が爆発するタイプの高射砲弾で子供達が遊んでいた際に誤って爆発し、それが他の爆弾に誘爆したものとみられている。この専用線はその後1951年(昭和26年)に廃止された[2]。 この支所地も後に日本化薬の倉庫となるものの1977年(昭和52年)に廃止されて北九州市に売却され、現在は文化記念公園や小倉東高校になっている。 駅構造島式ホーム1面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を備える[2]。 JRの特定都区市内制度における「北九州市内」の駅であり、JR九州サービスサポートが駅業務を受託している業務委託駅であり[14]、みどりの窓口が設置されており[3]、SUGOCAの使用が可能。 のりば
かつては島式ホーム1面と相対式ホーム1面に待避線1線の計2面3線であったが、1981年の橋上駅舎化の際に相対式ホームと待避線を撤去、待避線撤去により空いた部分に島式ホームを拡幅し、現在の1面2線の構造となった[15]。 そのほか、貨物取扱を行っていた頃は貨物側線が2線、戦時中には専用線の側線が現在の2番線横にあった。 利用状況2023年度の1日平均乗車人員は6,158人であり、JR九州の駅としては第27位である[16]。 JR九州及びとうけい北九州によると、近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り。
駅周辺南口側は土地区画整理が行われたため、周辺は市街地を形成しており、サニーサイドモール小倉など商業施設も多く、北九州市郊外の住宅地が広がる[2]。 北口側は下曽根駅北口再開発のため、現在工事中である。駅前に飲食店が並ぶほか、旧北九州空港跡地に九州労災病院や北九州工業団地がある。なお、こちら側も北九州市郊外の住宅地が広がる。
2006年(平成18年)3月15日まで、北口から徒歩15分の所に旧北九州空港が存在した[1]。3月16日に現在の北九州空港が開港したため、空港近傍の駅ではなくなった。空港跡地には九州労災病院などが建てられている。 その他
隣の駅脚注
関連項目外部リンク
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