仲木貞一
仲木 貞一(なかぎ ていいち、1886年9月11日 - 1954年4月28日)は、日本の劇作家、編集者である。 人物・来歴1886年(明治19年)9月11日、仲木之稙の子として[1]、石川県に生まれる[2]。山口県に転じ、旧制・山口県立徳山中学校(現在の山口県立徳山高等学校)を卒業後、上京し、早稲田大学英文科を卒業する[1][2]。 1910年(明治43年)、24歳のころ、新聞『萬朝報』の懸賞戯曲に応募し、『世の終り』が1等当選した[1]。読売新聞社に入社、同新聞の記者[2]をつとめる傍ら、秋田雨雀らと『劇と詩』を創刊している[1]。その後、芸術座に入る[2]が、1919年(大正8年)には同劇団は島村抱月と松井須磨子の死により解散した。のちに新国劇に参加し、座付作家として『飛行曲』、女優・伊沢蘭奢の当たり役『マダムX』などの戯曲を発表、劇場運営にも関わった[2]。さらに、化粧品メーカーの伊東胡蝶園が設立した出版社「玄文社」(1916年 - 1923年)に入社、雑誌や書籍を編集した。 1920年(大正9年)6月に開所した松竹蒲田撮影所に33歳のときに入所[1]、翌1921年(大正10年)、田村宇一郎監督の『悪夢』で映画脚本家としてデビューしている。1923年(大正12年)、日本大学美術科(現在の日本大学芸術学部)講師となり、演劇論・映画論を講義し、文部省社会教育調査委員をつとめた[1]。 1927年(昭和2年)、40歳のころ、東京市芝区芝(現在の東京都港区芝)にあった日本放送協会東京中央放送局に入り、社会教育課長に就任した[1]。 1939年にキリスト来日説をもとに戸来村に取材した映画「日本におけるキリストの遺跡を探る」を制作[3]。出所の怪しいこの説を広める結果となる[4]。 1942年(昭和17年)、ゼ・チャーチワード(ジェームズ・チャーチワード)の著書の翻訳『南洋諸島の古代文化』(岡倉書房)を上梓、ムー大陸説をほぼリアルタイムで日本に紹介している。 1952年、犬塚惟重(会長)、三浦関造(副会長)、下中弥三郎(名誉会長)、山根キクら偽史関係者が集う日猶懇話会を発足[5]。 1954年(昭和29年)4月28日、死去した。満67歳没[2]。長男の仲木繁夫[1]は、大映で映画監督になり、その後、東宝(東京映画)で、雪村いずみ主演『あんみつ姫 甘辛城の巻』(1954年)やテレビ映画『怪奇大作戦』の監督として知られる。 ビブリオグラフィ
フィルモグラフィ註
外部リンク
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