佐世保女子高生殺害事件
佐世保女子高生殺害事件(させぼじょしこうせいさつがいじけん)は、2014年(平成26年)7月26日、長崎県佐世保市で発生した殺人事件である[1]。佐世保高1同級生殺害事件とも呼ばれる[2][3]。 高校1年生の女子生徒A(当時15歳)が、同級生の女子生徒Xに首を絞められるなどして殺害された[4][5][6]。その後、首や左手首が切断された状態で発見され、現場付近にいたXが殺人を認めたため緊急逮捕された[4][7]。 残忍な殺害方法や事件の背景などから世間に衝撃と波紋を広げた[8]。 概要2014年(平成26年)7月26日の夜、長崎県佐世保市島瀬町のマンションで同級生である女子生徒Xの家に遊びに出かけた女子高校生A(当時15歳)が殺害された。 帰りを心配した両親が捜索願を出し、翌27日午前に、警察官がX宅を訪れたところ、Aがベッドで頭と左手首が切断された状態で仰向けになり倒れて死亡しているのを発見した[6]。当初マンション入口付近にいたXは、Aの行方について「知らない」と答えていたが、その後、殺人を認めたため緊急逮捕された[6]。長崎地方検察庁は精神鑑定を検討し、8月には佐世保簡易裁判所が精神鑑定留置を認め8月から3カ月間、精神鑑定のため医療機関に鑑定留置された[9]。 2015年(平成27年)1月20日、前年の3月2日に佐世保市花園町の自宅で就寝中の父親の頭などを金属バットで複数回殴るなどして殺害しようとした殺人未遂の容疑で、Xを再逮捕した[10]。Xに対し長崎家庭裁判所は、医療少年院(第3種少年院)送致とする保護処分の決定が出された[11]。 事件発生事件現場となったのは、佐世保市にあるマンションである[6]。JR佐世保駅から北に1kmで、繁華街に近い国道沿いでありマンション周辺は野良猫の多い地域であった[6][12]。Xは4月から市内の親元を離れて一人暮らしをしていた[13]。 Aは以前からXに「会いたい」と誘われており、26日午後3時頃、家族に友人と遊ぶと伝えXが住むマンションへ遊びに出かけた。2人は佐世保市内の繁華街で買い物を楽しんだ後、Xのマンションに戻った[4]。午後6時40分頃、AのメールアドレスからAの母親宛に「7時ごろに帰る」とメールが届いたがその後帰ってこなかった。そのため両親は数日前に遊びに行くと聞いていたXに電話をした。これに対しXは「午後6時半くらいに別れた」と答えている。 午後8時ごろ、XはAの後頭部を工具で複数回殴り[14]、リードで首を絞めるなどして殺害した(Xが供述)[9]。Aの死因は頸部圧迫による窒息死であった[6]。 Aの両親は午後11時頃に捜索願を提出し[6]、27日午前3時20分ごろ、警察官が生徒宅のベッドで仰向けに寝かされて死亡しているAを発見した[1][15]。マンションの入口付近にいたXは、当初Aについて「知らない」と答えていたが、その後、殺害を自供したため緊急逮捕された。 事件経過捜査遺体は、仰向けの状態で頭と左手首が切断されており、胴体部分に刃物で切ったとみられる複数の傷と腹部が大きく切り開かれていた[4][14][15]。室内からはスレート切断用のこぎり(刃渡り約15cm)、石頭ハンマー、テストハンマーが見つかっており、Xは「自分で買った」と供述した[7][14]。発見された凶器のうち、のこぎりはベッドの上、ハンマーはベッドの脇と下から見つかった[15]。そして冷蔵庫からは猫の頭蓋骨が見つかった[12][13]。Xは事件直後に衣服を着替えて身体を洗っており、また、Aのスマートフォンがマンションの敷地内で投げ捨てたと見られる状態で発見されるなど、証拠隠滅と疑われる行為が見られた[16]。 取り調べ取り調べに対し「殴ってから首を絞めた。すべて私が1人でやりました。誰でも良かった。」と犯行を認めるものの、受け答えは淡々とした様子で応じていた[17]。長崎県警察は7月29日午前に「2人の間にトラブルがあったとみられる」と公表していたが、同日午後には「間違いだった」と訂正した。Xは「体の中を見たかった」「人を殺して解体してみたかった」などと供述しているが、2人の間の具体的なトラブルなどは確認できなかったとしている[18][19]。 鑑定留置決定長崎地方検察庁は精神鑑定を検討し、8月8日には佐世保簡易裁判所が精神鑑定留置を認めたと報道された。8月から3カ月間、精神鑑定のため医療機関に鑑定留置された[9]。 被害者・加害者家族のコメント8月2日、Aの両親が代理人弁護士を通じてコメントを公表した[20][21]。
8月4日、X側の父親は代理人の弁護士を通じ、「複数の病院の御助言に従いながら、私たちのできる最大限のことをしてまいりましたが、私の力が及ばず、事件が発生したことについては、誠に残念でなりません」とする謝罪文を公表した[22]。 9月18日、Aの両親が代理人弁護士を通じて再度コメントを公表した[9]。
Xの父親の自殺10月5日、Xの父親が自宅で首を吊った状態で死亡しているのが発見された。発見したのは父親の知人で、遺書はなく、自殺したものとみられている[9][23]。代理人弁護士によると、父親は事件後「私は生きていていいんでしょうか」と話すなど落ち込んでおり、弁護士は「生きていてもらわないと困る」と答えている。10月3日に電話で話したのが最後となった[23]。 殺人未遂容疑で再逮捕2015年(平成27年)1月20日、前年の3月2日に佐世保市の自宅で就寝中の父親の頭などを金属バットで複数回殴るなどして殺害しようとした殺人未遂の容疑で、Xを再逮捕した[10]。 →「佐世保女子高生殺害事件 § 事件前」も参照
司法判断2015年(平成27年)7月13日、長崎家庭裁判所はXに対し、医療少年院(第3種少年院)送致とする保護処分の決定を出した。平井健一郎裁判長は「ASD(自閉症スペクトラム障害)が見られるものの、それが非行に直結したわけではなく、環境的要因の影響もあった」との趣旨のことを述べた[24]。 事件背景加害者Xの人柄・家庭環境Xは幼い頃から学業は優秀で、スポーツも積極的だった。中学校では放送部に所属しており、NHKのアナウンサーになるのが夢だった[15]。また「検事になって法廷で弁護士である父や、弁護士志願者である兄と戦いたい」という夢を語ったこともある。冬季スポーツ種目で国民体育大会に出場しており、地元でも知られていた[25]。その一方、「あまり笑う子ではなかった」「頭が良すぎて特殊な子」といった評価も見られる。 Xは佐世保市内で育った。実家は坂道をのぼった高台にあり[26]、不動産登記簿によれば、宅地面積は約80坪[26]、地上2階、地下1階の鉄筋コンクリート造りの建物は、延べ床面積が300平方メートルを越える豪邸である[26]。2014年当時の『週刊文春』の取材に対し近所の住民は「15年ほど前、家を新築した時、ご主人が挨拶に回られて、近隣住民はお披露目に招待された」と述べている[26]。 両親は長崎市出身で、父親は県内最大手の法律事務所を経営しており、佐世保では有名な弁護士だった[26][27]。ジャパネットたかたの顧問弁護士をつとめ、倒産案件などを数多く手がける弁護士として知られていた[27]。また弁護士としてだけではなくスピードスケートの選手としても名を知られていた[27]。母親は大学を卒業後、地元放送局に勤めた[26]。市の教育委員を務め、教育活動に熱心だった[26]。兄は東京の私立大学で学んでいた[26]。 事件前Xは、小学6年生時の2010年頃に、同級生の給食に薄めた洗剤や漂白剤、ベンジンを混入するいたずらをくり返すなど、問題を起こしていた[28]。中学生の頃から医学書を読んだり動物の解剖に熱中しており、その頃から猫を解体したりしていた[29]。 2013年(平成25年)10月に実母がガンで亡くなると、Xは不登校が続いていた。 2014年(平成26年)3月、Xは寝ていた父親を金属バットで殴打し、以後精神科に通院するようになった[9]。医師から「同じ家で寝ていると命の危険がある」と助言された父親は、4月から、後に事件現場となるマンションでXを一人暮らしさせていた[22]。高校でも不登校が続き、1学期のわずか3日のみ出席していた[4]。 Xは高校に通学せず、その時間で図書館に通い、過去の少年事件・審判を調べ、未成年者の場合は死刑になる例が少なく、16歳を超えると刑事罰を受ける可能性が高くなることなどを知り、16歳になる前に殺人や解体の実行を決意した[30]。 5月、父親が再婚したが[27]、幼馴染によると、Xは「(父と継母とは)一緒に住みたくない」と言っていたという[27]。 7月23日、Xは継母との会話の中で、猫を殺して楽しいことや「人を殺したい」などとする願望を打ち明けた。そのため診療でXの殺人願望を医師に伝えていたが「今日は時間がない」としてその日の診療を終わっている[22]。後に書面上で父親が医師に切迫感がないと指摘している[22]。(ただし、弁護士は「あくまで父親本人が書いていることだ」として病院側には確認していないとしている。) 7月25日、Xの両親が病院と入院の協議をしたが、病院からは「入院は施設の事情で即日の入院ができない」「個室はあるがその一つを独占することになる」と言われ実現しなかった[22]。事件の20日前には警察への相談を打診したが事件前日の話し合いで見送り、児童相談所に連絡を取ることで意見がまとまった。その日に児童相談窓口のある『佐世保こども・女性・障害者支援センター』に電話相談したものの、勤務時間外であり担当者が不在だったため相談ができず[22]、職員から「今日はサマータイムで終わった。月曜日(28日)にしてくれ」と断られていた[要出典]。 児童相談所の対応Xの診察を以前から担当していた精神科医は、2014年6月10日に佐世保こども・女性・障害者支援センターへ電話で連絡を行った。電話の内容は、精神状態の不安定さを懸念して「Xは人を殺しかねない」といった内容だったが、文書決裁にとどめていた。背景には、同センターの幹部職員によるパワーハラスメント発言(職権による人権侵害)があり、電話で報告を受けた職員が適切な処置について上司に相談することができなかったことなどが挙げられる。なお、2015年(平成27年)2月に同センターの所長と幹部職員は戒告の懲戒処分、別の職員が文書訓告処分となった。 XとAの関係二人はお互いに生まれた家が近いということもあり、知り合いだった[27]。Aの父親は海上自衛隊の自衛官で、佐世保の第13護衛隊に属する護衛艦さわぎりの乗組員だった[27]。AはXとは中学校の同級生で、写真部に所属し、明るくて面倒見がよい生徒だった。 時系列以下の時系列は全て2014年(平成26年)のものである。
有識者・専門家の見解母親の死が犯行のきっかけという見解生活環境の変化が原因という見解
父の再婚の早さについての見解日本には喪中という慣習があり社会通念上、Xの父親が再婚した時期は早いと見なされ、婚活や再婚の時期の早さが問題視されている[40]。この問題に関しジャーナリストの吉田明洋は、Xの父が先妻死後すぐのパーティーで5人の女性に名刺を配って口説き始めたこと、それを知人が窘めたところ「俺は独身なんだ」と平然と答えたこと、について、目撃談を紹介している[41]。また、日刊ゲンダイは、顔なじみのタクシー運転手による、継母のお腹が膨らんでいたという目撃談を根拠に、継母が妊娠していたと報じている[42]。Asagei plusは、再婚前の妊娠の可能性もあるとしている[43]。
それ以前からの問題を指摘する見解
Xの性癖を指摘する見解
異常者ではないとする見解影響高校への影響
メディアへの影響
その後収容継続2021年(令和3年)7月でXが23歳になるのを前に、収容先の少年院長は収容継続を申請し、長崎家庭裁判所は26歳になる2024年までの継続を8月下旬に認めた。X側は9月7日付で不服を申し立て抗告し、福岡高等裁判所は11月4日付で棄却する決定をした[3][11]。高裁決定はXの精神に著しい障害があり、矯正教育を継続して行うことが特に必要であると長崎家裁が認めたことについて「誤りはない」と指摘。収容継続期間を3年としたことも不当でないと支持した[65]。法務省によると実際に23歳を超え矯正教育を継続した例はないとみられるという[3][11][65]。 2022年(令和4年)7月12日、元付添人の弁護団はXの近況について「矯正教育により対人交流などに成長が見られ、内省が深まるなどの変化が生じている。贖罪の気持ちを深めていくため、さらなる内省の獲得に努めている。」と記者クラブの書面取材に対し回答している[2]。 児童相談所の対応 2022年7月26日、佐世保こども・女性・障害者支援センターでは朝礼が行われ再発防止に向け訓示を行った。長崎放送の取材に対し、現所長の山瀧猛は「事件のことを児童相談所内で風化させない」としたうえで「人身に関わるような相談については危機意識をきちんと持って対応する」とコメントし、些細な情報でも会議に諮り「組織」として対応を徹底していくとした[2]。 収容終了とその後 2024年(令和6年)7月、Xは26歳となり、長崎家庭裁判所が認めた少年院での矯正教育の収容継続期間が終了した。法務省関係者によると、Xは同月中に少年院を退所し、現在は社会内での更生支援を受けながら生活しているという。少年院では引き続き専門家による心理的支援と生活指導が行われており、退所後も自治体や保護観察所によるフォローアップが継続されている[66]。 脚注
関連項目外部リンク
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