保谷車両管理所
保谷車両管理所(ほうやしゃりょうかんりしょ)は、かつて東京都西東京市に存在した西武鉄道の車両基地である。2000年(平成12年)3月の組織変更に伴って車両管理業務を武蔵丘車両管理所へ移管し、保谷電留線(ほうやでんりゅうせん)と改称された。電留線への格下げ後は主に保谷駅を始発・終着とする列車の留置線として用いられている。かつては夜間早朝に小手指車両基地より係員2名が派遣されラッシュ時営業線対応に当たっていたが、2025年3月を持って係員の派遣を終了している。 概要上り本線沿いに10両編成が2編成収容できる留置線(21・22番線) 、総合事務所側に8両編成が6編成収容できる留置線 (23・24・25・26・27・28番線) があり、日中の留置ないし夜間滞泊が行われている。なお、人身事故などの輸送障害でダイヤが乱れた場合、当駅止まりの列車がここに一旦収容され、折り返し運用に入ることもある。 かつては、旧4・5・6・7番線とピット内12・13・14番線、および保谷駅ホーム2番線北側の引き上げ線が使用停止となっていた。また、電留線の入口付近の踏切横に西武鉄道保谷総合事務所ビルが建設され、検修棟・管理棟も撤去されたうえでピット線も使用停止となっている。2018年現在、ピット線は電留線となり、使用を再開している。
歴史![]() 1922年(大正11年)10月に西武鉄道の前身事業者である武蔵野鉄道によって保谷電車庫として開設された。戦後は保谷車両工場(復興社保谷車両工場)として車両の検査・修繕ならびに製造業務を担当したが、1950年(昭和25年)にそれらの業務は復興社所沢車両工場へ集約された。その後保谷車両管理所への改称が行なわれ、池袋線の車両管理を担ったが、車両の増備や編成の長大化に伴って敷地が手狭となったことから、前述の通り2000年(平成12年)3月に埼玉県飯能市に新設された武蔵丘車両管理所(現・武蔵丘車両基地)へ組織を移管、当所は車両配置のない電留線へ格下げされた。 年表
脚注
参考文献
関連項目 |
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