全国中学校駅伝大会全国中学校駅伝大会(ぜんこくちゅうがっこうえきでんたいかい)は、毎年12月中旬に行われる中学生による駅伝の全国大会である。全国中学校体育大会の一種目と位置づけられている。 概要1993年から開催されており、開催地は数年ごとに変更されている。第14回大会(2006年)~第23回大会(2015年)は山口県山口市の山口県セミナーパークで、第24回大会(2016年)~第29回大会(2021年)は滋賀県野洲市、湖南市および蒲生郡竜王町にまたがる滋賀県希望が丘文化公園での開催となっている。成長期にある中学生の足への負担を考慮し、本戦では芝のクロスカントリーコースが使われる。ただし、都道府県予選は多くで公道または園路(公園内ロード)が使用され、コースの全部・一部が芝生コースを使用するのは、2015年時点で、北海道・新潟・滋賀・島根・山口の5道県にとどまる。 都道府県予選は10月中旬から11月中旬にかけて行なわれ、そこで優勝した学校と開催地枠で出場する1校の計48チームが本戦に出場できる。なお、これまでに記念大会などによる増枠は行なわれていない。 当日は初めに女子のレース、次に男子のレースが行なわれ、それらが終了した後に各チームの補欠選手と地元の本戦不参加選手を対象にしたオープンレースが本戦と同一コースで行なわれる(男子3.0 km・女子2.0 km)。 高校生以上の駅伝とは違い周回コースを使用するため、区間が違っても同じ距離ならばほぼ同一のコースを走ることになる。 中学校は義務教育であるため有力選手をスカウトして集めることはほぼ不可能であり、そのためにチーム編成のやりくりが付かず、陸上競技部以外の運動系クラブの選手を本戦や予選に起用するケースが多々ある。陸上競技部の選手を一人も起用しない場合も稀にあり、第19回大会に出場した新居浜市立東中学校女子チームは全員がバスケットボール部の選手ながら優勝した[1]。 本大会に出場したメンバーから京都での皇后盃全国都道府県対抗女子駅伝競走大会と広島での天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会に出走するランナーも少なくない。 主催区間
歴代優勝校
区間最高タイム
テレビ・ラジオ放送第5回から第7回まで(滋賀)は毎日放送(MBS)制作・TBS系列全国ネットで、第8回から第13回まで(山口・千葉)はNHK教育テレビジョンで、第14回から第23回まで(山口)は山口朝日放送制作・テレビ朝日系列全国ネットでいずれも録画中継で放送されていた。後述の通り第15回は一部の地域では、NHKラジオ第1放送でも中継された。第24回以降(滋賀)からはテレビ、ラジオ中継を行わなかったが、10年連続山口開催の最終回にあたる第23回と第26回から第29回まではYouTubeライブ配信でレースの模様を中継した[2]。 第14回大会以降について山口10年連続開催時代 第14回大会(2006年)から23回大会(2015年)までについては、テレビ朝日系列局や同系列の衛星放送であるBS朝日などで放送されていたが、同時ネットではなく放送時期・時間帯はまちまちとなっていた(年明け以降に放送する地域や早朝・深夜に放送する地域もあり)。しかも男女のレースで合計約2時間だった大会映像を55分のダイジェスト形式に編集しており[3]、全編は見ることができなくなっていた。また、第14回大会では三大都市圏をはじめとする関西以東の多くの地域でネットされなかったが、以後の大会では放送地域が拡大しており、ほぼ全国各地で放送されていた[4]。ハイビジョン制作(ただし、上空カメラは標準画質)。 なお、第15回大会についてはNHKラジオ第1放送により生中継された(山口・島根・鳥取向けのみ)。第23回大会については前述のテレビ放送に加えて、本大会初の試みとしてYouTubeライブ配信が実施された[5]。
滋賀県開催時代<第二期>(2016年以降) 2016年(24回大会)からは開催地を滋賀県に移して開催されているが、2016年・17年はテレビ放送および2015年大会で初めて実施されたYouTubeライブ配信は実施されなかった。その後2018年(26回大会)から2021年(29回)までYouTube配信が行われていた[2]。 2022年は第30回大会ということもあり、日本テレビ制作によるBS日テレでの本大会テレビ生中継が初めて行われ、さらにTVerでもテレビ番組そのものが同時配信された[8][9]。 トラブル第14回大会では、参加を予定していた学校の一部が出場辞退・棄権せざるを得ない状況となった。その理由は、大会本部が指定した宿舎の一部においてノロウイルスによる集団感染が発生(一時は食中毒の疑いももたれたが、最終的に食中毒ではないことが確認されている)し、当該校の選手が被害を受けたためである。ただ、参加した生徒にとっては学生時代の思い出となる大事な大会であることから、大会自体は残りの学校の参加により行われた。一部の県では、その後の山口県による一連の対応に対して批判の姿勢を見せていた。 脚注
外部リンク |
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