兵士の歌
「兵士の歌」(へいしのうた、愛: Amhrán na bhFiann アウラーン・ナヴィーアン [ˈəuɾˠaːn̪ˠ n̪ˠə ˈvʲiːən̪ˠ]、英: Soldier's Song、邦題は「戦士たちの歌」とも[1])は、アイルランドの国歌。1926年に当時のコスグレイヴ政権により正式に採用された。それ以前は国歌としては非公式ながら「神よアイルランドを守り給え(God Save Ireland)」が歌われていた。歌詞はアイルランド共和主義者ペアダル・キアニー(英:Peadar Kearney 、愛:Peadar Ó Cearnaigh パダル・オーチャールニー)が1907年に書いた英詞をリーアム・オーリーン(愛:Liam Ó Rinn)がアイルランド語訳したものである。国歌としては、ペアダル・キアニーと作曲家パトリック・ヒーニー(英:Patrick "Paddy" Heaney/Heeney)が作った曲にコーラス部分のみが付くのが正式な姿である。 歌の構成歌詞は3番まであり、それぞれの後にリフレインが入る構成となっている。このリフレイン部分のみが国歌として制定されており[1]、曲の一部が国歌として制定されることは他の国ではギリシアの国歌などに限られており、こうした構成はまれであった[1]。オリンピックなどで誤って曲全体が流れてしまったことなどもあり、曲の一部のみが国歌というのは判りづらい、反英色の濃い歌詞が国歌としてふさわしくない、などの理由から国歌を変更しようという提案もなされている[2]。 歴史起源「兵士の歌」は1907年、ペアダル・キアニーによって作詞され、キアニーおよびその知人のパトリック・ヒーニーにより作曲された[1][3]。この歌のテキストが初めて発表されたのは1912年、ナショナリスト系の『アイルランドの自由』紙にブルーマ・ホプソンによって掲載された[3]ことによる。 同歌は行進曲として、アイルランド義勇軍と反英組織が1916年のイースター蜂起において占拠した中央郵便局 (GPO) にて歌われた[3]。このことにより、同歌はアイルランドの独立運動の歌として普及した[3][4]。1919年から1921年までのアイルランド独立戦争ではアイルランド共和国軍 (IRA) によって歌われた。1921年にアイルランド自由国が成立すると、新たな国軍によって、「陸軍の曲として有名なまま」、多くの軍事的式典で演奏された[3]。 歌詞
脚注注釈出典
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia