利用者‐会話:さんぽーる
さんぽーる様。HTTHと申します。お世話になります。 表記項目の翻訳元の版(ドイツ語版)について伺います。記入された「18:56, 1. Jul. 2013 より翻訳」を手掛かりに探そうとしたのですが、現在では履歴には当該版が見当たりませんでした [1]。ドイツ語版では記事が統合されたようで、その影響かとも思います。またHTTHの不手際でしたら、お詫びします。 これを伺う理由を申し上げます。翻訳していただいた版では被害者の慰霊のくだりになってイタリア大使館が言及されていますが、この以前にイタリアに関する記述が見つかりません。現時点のドイツ語版[2]を参照すると、まず留め置かれていたイタリア人がドイツ側に虐殺されたようです。それとも、翻訳とありますが、抄訳ということでしょうか。ご回答いただきましたら幸甚です。よろしくお願いします。--HTTH(会話) 2014年6月2日 (月) 15:41 (UTC) リダイレクトに統合以前の履歴が残っています。こちらの版です。抄訳です。誤訳などもあるかもしれませんので、訂正加筆など是非お願いします。--さんぽーる(会話) 2014年6月2日 (月) 19:37 (UTC) さんぽーる様。早速の回答を下さり、ありがとうございました。おかげさまで原文を読むことができました。やはり原文でも、なぜイタリア大使館から人が慰霊祭に来るのか触れられていません。何とかこの点が分かりやすいようにできればと思います。HTTHは過去に、ソ連軍の婦女暴行、略奪のすさまじさは読んだことがありましたが(邦 正美『ベルリン戦争』、ヘルケ ザンダー『1945年・ベルリン解放の真実―戦争・強姦・子ども』)、このような虐殺にまで至っていたとは知りませんでした。胸が苦しくなる事件ですが、これを翻訳する労を取ってくださったことに感謝します。取り急ぎお礼を申し上げます。--HTTH(会話) 2014年6月2日 (月) 20:13 (UTC) 極東国際軍事裁判のモーゲンソー氏の発言についてお世話になります。 貴殿の編集した極東国際軍事裁判の記述の中でモーゲンソー氏の発言について「1944年8月から終戦以降の政策方針が議論され、ヘンリー・モーゲンソー財務長官はナチス指導者の即決処刑を主張し」とありますが、アメリカの対日政策という項の中の記述としてナチスの即刻処刑というのは唐突であり対日政策との関連も書かれていません。記事の向上の為に加筆・修正をおねがいします。--Chova(会話) 2014年6月16日 (月) 15:34 (UTC) いずれ加筆したく思います。簡単に修正しました。--さんぽーる(会話) 2014年6月16日 (月) 15:43 (UTC) 「ノート:都市対抗野球大会」へのコメント依頼用件のみにて失礼します。さんぽーるさんが社会人野球日本選手権大会の記事の現状についてノートにて疑問を投げかけられたついでと言えば悪いですが、都市対抗野球大会の記事の現状についてもノートへコメントをいただければ幸いに存じます。--Fielder(会話) 2014年7月30日 (水) 13:49 (UTC) 「複数の問題」テンプレートについてこんにちは、Wjp28yと申します。さて題名についてですが、さんぽーるさんが2014年7月29日 (火) 02:18 (UTC)より貼り付けられている「複数の問題」テンプレートでエラーが発生しています。{{未検証}}には、『記事(または節)の内容について検証の必要性があり、具体的な出典を元に必要な議論を行いたい場合に使います。』『議論を行うつもりがないのに、このテンプレートを貼り付けてはいけません。』とあります。つまり「ノートに議論が無い」ためCategory:テンプレート呼び出しエラーのあるページ/Template:複数の問題にカテゴリされています。 また、あるいはCategory:テンプレート呼び出しエラーのあるページ/Template:複数の問題には、『「未検証」には「出典の明記」の意味も含まれています。』とあります。そのエラーも発生しています。 ついてはカテゴリされているもの、および議論をされていないノートへの加筆、あるいはテンプレートの除去をよろしくお願いします。今回のケースの場合、親記事であるノート:社会人野球日本選手権大会に、関連する議論がありますので、{{未検証}}にある『議論を行うつもりがない』はないと考えています。ですので、{{複数の問題}}を使用せず、{{未検証|date=2014年7月|talk=ノート:社会人野球日本選手権大会}}として貼り付け、親記事のノートに「小記事も該当する」旨を明記するのも一つの手だと思います。--Wjp28y(会話) 2014年8月1日 (金) 05:00 (UTC)
(会話をわかりやすくするためインデントを追加しました。)すべての除去を確認しました。ご協力ありがとうございました。--Wjp28y(会話) 2014年8月1日 (金) 20:15 (UTC) ヘイトスピーチの参考文献おはようございます。ノートよりは会話ページ向き内容なのでこちらで。ヘイトスピーチに参考文献を多々加えられていますが、これは記事を書く際に参考にされたのでしょうか?そうでなければ「関連文献」節を作りそこに置くべきです。以上、宜しく御願いします。--JapaneseA(会話) 2014年9月17日 (水) 21:40 (UTC) 参考にしたものもありますし、これから加筆予定の資料もあります。関連文献との区分けは加筆後に行いたいと思います。参照方法tlをつけるのは構いません。--さんぽーる(会話) 2014年9月20日 (土) 05:43 (UTC)
「北九州監禁殺人事件」の記載について「北九州監禁殺人事件」の記事に対するさんぽーるさんの編集を削除させていただきました。ウィキペディアにおける削除の方針(WP:DP#B-2)は、法令とは関係なく個人のプライバシーや名誉を尊重するものです。最高裁判決が出たからといって、記載が許されるものではありません。過去の削除依頼での議論や、Wikipedia:削除の方針、Wikipedia:存命人物の伝記、Wikipedia:名誉毀損といった方針を尊重してください。方針をご確認いただく時間として、恐れ入りますが1日のあいだ投稿ブロックをかけさせていただきます。ブロック後の活動に、こうした方針を反映させていただきますよう、お願いします。--Bellcricket(会話) 2014年10月2日 (木) 21:11 (UTC)
は了解しました。 しかし、附属池田小事件のケースはこれは死刑執行によってWP:LIVEが該当しないためなのかどうかについて明瞭に理解しがたいケースもありました。名張毒ぶどう酒事件などもそうです。Wikipedia:削除の方針での例外規定のさらなる明記も含め、さらに過去の議論を熟読しようと思います。--さんぽーる(会話) 2014年10月10日 (金) 08:39 (UTC)
六場戦争の削除依頼についてさんぽーる様の立てられた「六場戦争」に削除依頼が出されておりますのでお知らせします。--公平(会話) 2014年12月20日 (土) 07:59 (UTC) ご報告ありがとうございました。--さんぽーる(会話) 2015年1月10日 (土) 12:29 (UTC) Invitation to Medical TranslationMedical Translation Project
ハル・ノートの加筆の件で失礼しますはじめまして。 ハル・ノートの件の加筆を興味深く拝見しました。いくつかの記述については当方からも修正及び加筆させていただきました。 ただ、記事の内容が大幅に変わったため、以前に書いてあった出典に基づく記述までが幾つか理由なく削除されていますが、それは如何なものでしょうか?出典の明記してある記述に関しましては慎重な配慮をお願いします。 また、記事の内容がもはやハルノートで扱うべき範囲を超えているように思います。特に日米諒解案についての経緯については新しい記事を作成した方が適切ではないでしょうか? あと、今回の記事の内容はほぼ須藤眞志氏の『ハル・ノートを書いた男』を下敷きにされているかと思います。勿論、須藤氏の著作については私も引用にして幾つか記述してきましたが、 ハル・ノートに至る話の流れがほぼ『ハル・ノートを書いた男』と同様なのには違和感を覚えました。記事の内容がひとつの著作に偏るのは望ましいことではないと考えます。 また、以前の『ハル・ノート』の記事の記述と今回の須藤氏の著作からの引用による記述が結構重複しており、読みにくい箇所がいくつか見られます。この辺りも配慮願いたく思います。 --クエストん(会話) 2015年3月18日 (水) 12:55 (UTC) 「出典に基づく記述までが幾つか理由なく削除」とありますが、以前の版には引用の要件を満たしていないものなど問題のあるものは補正しました。理由なく削除したわけではありませんので問題がありましたら、ノートで具体的にご指摘くだされば確認したいと思います。 須藤氏の本を使用したのは別の出典を否定するために利用したわけではありませんので、必要があれば加筆してください。なお、「経緯」には事実、解釈や様々な回想などについては「解釈と評価」と分けましたので、配慮はしました。もしかしたら「雪作戦」を「事実の経緯」に含まれることなどを問題視されておられるかもしれませんがノートで提議されたら応じます。読みにくいという指摘についても、具体的に指摘くだされば応じますが、私には以前の版が非常に読みにくいものでしたので加筆しました。 日米了解案からハル・ノートまでの経緯を押さえるのは必要ですし、現状の記事で詳細にすぎるとは思えません。了解案にしてもハル4原則にしても単独の記事であってもいいでしょうが、それが現状からの「分割」ということなら反対します。--さんぽーる(会話) 2015年3月18日 (水) 14:34 (UTC)
・また須藤氏の著作からの引用に偏るのは望ましくないとご指摘させて頂いた件ですが、このままではハルノートの記事というよりも『ハル・ノートを書いた男』の要約で、引用先が「主」で引用元が「従」である主従関係が逆転している印象です。ですから、既に出典付きの記述があるところには、さらに須藤氏の著作からの引用を重ねる必要はないと思います。ついでですので雪作戦については、須藤氏もソ連の影響については確証はないと書いているのですから、以前の記事のようにその記述は必要だと思います。このまま「事実の経緯」として扱うのは引用元の須藤氏の主張と離れています。 ・諒解案からハル・ノートまでの経緯を抑えるのは必要との認識は私も同じで今回の加筆に関しては感謝するところです。 しかしながら、たとえば、今の記事では肝心の諒解案の内容はほぼ触れられていませんよね。私はこれでは経緯を抑えるのには不十分だと感じますが、仮にどなたかが諒解案全文を加筆するなどしていくと記事全体がハル・ノートと直接関係のないところで膨れ上がるわけです。ですから、諒解案の記事を作って詳述(たとえば、松岡のスタインハート工作の件や松岡とハルとのやりとりなどはこちらの方がいいですし)、ハル・ノートの記事では略記して諒解案の記事とリンクすれば、経緯の理解としても十分でしょう。もし、これ以上記事が膨らむようであれば、改めて分割を提案させていただきます。 --クエストん(会話) 2015年3月18日 (水) 23:22 (UTC) 内容が重要なのでノート:ハル・ノート#引用と情報源の明記、重複などにて回答しました。--さんぽーる(会話) 2015年3月20日 (金) 10:28 (UTC) ウィンストン・チャーチルの加筆願いはじめましてさんぽーるさん、にょきにょきと申します。本日はお願い事があって参りました。ウィンストン・チャーチルの記事ですが、「日英離間・対立の中で」節の末尾(「対日融和工作」節直前)において、「1936年の日独防共協定は日独軍事同盟であるとみて警戒し、」と文章が途中で終わっております。何ともこちらの方では手の出しようがないので、この部分を執筆されたさんぽーるさんにこの後に続く文章の加筆をお願いできないでしょうか。不躾なお願いではございますが、お気持ちの向いたときにでも直していただけると大変うれしく思います。--にょきにょき(会話) 2015年4月10日 (金) 11:11 (UTC)
日中戦争における異常な編集あなたのこの編集について非常に違和感を感じざるを得ません。合意ができていない部分は、冗長な前史 (18世紀から始まっている部分です)。詳しくは、ノート:日中戦争にて具体的に指摘しますので、きちんとチェックしてみてください。Takabeg(会話) 2015年7月1日 (水) 09:48 (UTC) チェックしたうえで私は具体的にコメントをしました。--さんぽーる(会話) 2015年7月2日 (木) 06:59 (UTC) 結局、同じ過ちを繰り返してしまっているようですね。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないを読んで、落ち着いて編集してください。また、さんぽーるさんの連続投稿に関する意見は、Wikipedia:記事の所有権#私有化の振る舞いの例にある「他の編集者のノートに対して、更なる加筆を思いとどまらせるようなコメントを残す」に違反する危険性があります。実際に、さんぽーるさん自身、わずか20数分の間に1、2、3と連続投稿されています。それにくわえて、お時間があるときにWikipedia:安易に荒らしと呼ばないを読んでいただきたいですね。日中戦争に関しては、南京大虐殺論争などで自分がやっている作業と同様、問題点を指摘し、ウィキペディアに精通した中立なる第三者の登場を待つことにします。それでは、また。Takabeg(会話) 2015年7月7日 (火) 03:08 (UTC) 既存の記述を削除したのはあなたです。それに対して反対を表明して私が差し戻したましたが、あなたはそれをまた差し戻したのです。ノート:日中戦争でも私はあなたの加筆部分や問題点の指摘に答えています。編集を強行したのはあなたですから、そのことはご理解お願いします。連続投稿についてはご自身の編集行為を真摯に反省するならば、あなたの回数は過大でしょう。他の編集者から指摘をうけたときはまずはその指摘を悪意のものとして受け止めないようにしてください。この会話ページにおいても節のタイトルであえて「異常な」としたり、ご自身の行動も常識を外れた異常のものと反省なさる気持はないのでしょうか?日中戦争についてはあなたの加筆部分をも復帰させており、それについてなお異論を唱えるのであればちゃんとした理由を提示してください。--さんぽーる(会話) 2015年7月12日 (日) 13:54 (UTC) 植村隆での編集について
議論に答えないで異論を提起した他の編集者にブロックを連呼することこそブロックの対象になります。最初にノート:女子挺身隊、次にノート:植村隆で返答してください。--さんぽーる(会話) 2015年9月16日 (水) 14:56 (UTC) ここで述べているのは、さんぽーるさんがどのような意見を持っているかではなく、どのようなやり方で編集をしているか?です。さんぽーるさんは、自分の書きたいことを書きこむために出典のある記事を大量削除[5]及び同じ編集のリパートをしています。このようなやり方が問題だと述べているのです。ノート:女子挺身隊に関してはいずれ、定義部分の問題を提示するつもりですが、今すぐではありません。それなりに調べておくことがあるからです。議論に答えないなどと言いながら、「混同という事実を「争点」「(誰かの)説」等と編集されるあなたの編集」という理解しがたい文章の意味さえ答えていませんね。--よしのぶ(会話) 2015年9月16日 (水) 16:44 (UTC)
井戸端投稿を転記しましたこんにちは。井戸端ページを整理していますTriglavと申します。さんぽーる様が井戸端に投稿されたエラーの件をWikipedia:利用案内#言語間リンクでのエラー$1とは?に転記しました。そちらでさんぽーる様への質問が投稿されていますのでご確認ください。--Triglav(会話) 2015年9月23日 (水) 12:27 (UTC) 連続投稿について南京事件論争において連続投稿を繰り返されているようですが、利用者:さんぽーるさんは、日中戦争での連続投稿をお控えください。Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす。また、現在審議中なので編集を強行しないでください。合意形成に努めてください。というようなことをおっしゃっていますね。私個人は、連続投稿に目くじらを立てる利用者ではないのですが、利用者:さんぽーるさんの、「自分の連続投稿は正当な連続投稿。他の利用者の連続投稿は不当な連続投稿」的な首尾一貫性の無い不公正なスタンスについては問題視していますのでお伝えしておきます。Takabeg(会話) 2015年12月23日 (水) 07:27 (UTC) 大幅な編集につき連続投稿となってしまいました。しばし自粛します。ただし、「自分の連続投稿は正当な連続投稿。他の利用者の連続投稿は不当な連続投稿」とは考えておらず、編集内容次第であろうと考えます。また、私の編集についての議論が開始された場合は当然応対するつもりです。--さんぽーる(会話) 2015年12月23日 (水) 07:49 (UTC) 夫婦別姓の分割についてこんにちは。2016年5月に行われた夫婦別姓から国立大学夫婦別姓通称使用事件への分割作業に関して、当初の提案分に加えてその次の項目も一緒に分割されたことについて疑問があります。ノート:夫婦別姓にてご教示いただければ幸いです。よろしくお願いします。--Aotake(会話) 2016年10月12日 (水) 04:59 (UTC) 「南京事件論争」に関してさんぽーるさん、いつも有意義な編集をありがとうございます。勉強させていただいております。 唐突で申し訳ありませんが、ひとつの疑問、そしてひとつ"提案"がありましたので、こちらへ記述を失礼させていただきます。 さんぽーるさんの、”ティンパリーは、国民政府元財政部長宋子文と月額1000ドル(現在の貨幣価値で約175万円)の報酬で合意し”の部分なのですが、この1,000ドルは、必ずしも米ドルを示しているわけでは無いのではなかろうか、と疑問に感じられました。 ①"Shark's Fins and Millet"という本の116ページに"NC $500,000"という記述があり、前後の文脈からすると、NCは"North China"を意味すると考えるのが自然であると私には思われたこと。②"china dollar"でgoogle検索すると"人民元"が表示されること。よって、そのような疑問が生じました。英語が不得手なこともあり、単なる私の誤解でしたら申し訳ありません。 こちらは提案になります。同じく"Shark's Fins and Millet"、Ilona Ralf Sues著の135ページに、"Miss Sues, it is seven minutes to five, October 7, 1937." "T.V. Soong and Harry Timperley are handling our foreign publicity in Shanghai." とドナルドが語るシーンが描写されているはずです。好意で譲り受けた当該の本のコピーを数十ページ分、持っておりますので、私は個人的に記述の存在を確信しておりますが、いかんせん、当該の本そのものを入手できないでおりますので、Wikipediaの編集は控えているところです。さんぽーるさんは様々な文献を入手できる環境にいらっしゃるのではなかろうかと勝手に想像しました。もし当該の本を入手可能でしたら、この件を確認していただけませんでしょうか。不躾に失礼しました、ご一考いただけましたら幸いな次第です。よろしくお願いします。--KUIDAORE2014(会話) 2016年10月31日 (月) 18:56 (UTC)
ご回答ありがとうございます。ところで別件で、ひとつ疑問が生じています。疑問というのはトラウトマン工作に関してなのですが、1937年12月6日頃、蒋介石は和平案を一度、拒絶しているのではなかろうか、という疑念です。そのような疑念が私に生じた根拠は、①The West Australian, Dec 7, 1937 ②汪兆銘自叙伝。180ページ、コマ番号101に「然し数日ならずして調停は失敗に終わり、南京は陥落し、各前線は破れた」との記述があること、によります。ですが、この2つの記事だけでは根拠が不足していると思われます。あるいは私の誤解にすぎないのかもしれません。さんぽーるさん、この件に関し、もし何らかの情報をお持ちでしたら、ご教示いただけませんでしょうか。あるいはウィキペディアの編集をご検討いただけませんでしょうか。度々お手を煩わせてしまい申し訳ございません。ご検討いただけましたら幸いです。--KUIDAORE2014(会話) 2016年11月4日 (金) 12:11 (UTC)
ウィキメディアンとしてのご経験とご意見をシェアする世界的調査こんにちは。ウィキメディア財団ではこの調査で、あなたのご意見を伺いたいと思っています。この調査を通じて、どうすればあなたのウィキ上での、あるいはウィキ外での活動を支援できるのか、将来にむけて改善をしていけるのか考えようとしています。[survey 1] いただきましたご意見は直接、今後のウィキメディア財団の活動に影響を与えるものとなります。あなたがこの調査の対象として無作為に選ばれたのは、私たちがあなたのいるウィキメディアコミュニティからの生のご意見をお聞きしたいと考えているためです。お時間を割いていただくことへのお礼として、調査に参加された方の中から抽選で20名様にウィキメディアTシャツをプレゼントいたします。[survey 2] この調査は様々な言語で提供されており、所要時間は20分から40分の間です。
皆さまのご協力に心から感謝いたします。 --EGalvez (WMF) (talk) 2017年1月10日 (火) 22:50 (UTC)
あなたのフィードバックが重要です:ウィキメディア財団のグローバル調査ご協力への最後のお願いこんにちは。ウィキメディア財団の実施する調査が2017年2月28日 (23:59 UTC)'をもって終了するという最後のお知らせをしに来ました。 この調査は様々な言語で実施されており、所要時間は20分から40分の間です。 調査に参加してくださるようお願いします。 もしすでに本調査にご回答をお済ませでしたら、入れ違いをご容赦ください。ご協力、まことにありがとうございました。 本アンケートについて 本プロジェクトについてのさらに詳しい情報は、「このプロジェクトについて」でご覧いただけます。また、「よくあるご質問」もお読みください。 この調査は第三者機関が運営しており、個人情報に関する宣言に準拠します。 さらにお手伝いを必要とする場合、または本調査に関する今後のご連絡の停止 (オプトアウト) をご希望の場合は、利用者にメールを送る機能を通じて、 User:EGalvez (WMF) まで電子メールをご送信ください。 ウィキメディア財団について ウィキメディア財団はこのサイトを速く、安全で、アクセス可能にするよう、ソフトウェアと技術の両面で取り組むことで、あなたを支援しています。また、ウィキメディアのプログラムと構想は世界中で、アクセスを広げており、自由な知識をサポートしています。 皆さまのご協力に心から感謝いたします。 --EGalvez (WMF) (talk) 2017年2月23日 (木) 06:58 (UTC) 黄文氏のページに関してお問い合わせこんにちは、はじめましてDong1jin4と申します。 さんぽーるさんが投稿されました黄文氏の記述に関しまして、伺いたいことがございます。具体的にはノート:黄文氏に入力しておりますので、できましたらご回答いただきますようお願い申し上げます。--Dong1jin4 2017年5月10日 (水) 11:32 (UTC) |
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