利用者‐会話:WXYZ-origin

PJ1項の問い合わせについて

問い合わせの回答ですが、

  • 第1項に指定が無いのは(正式・愛称の点を)特に意識していなかったため。
  • 第2項(分割に関する事項)では愛称も該当することを例で示している(新幹線さんの見解に近い)
  • 第3項(統合の関する事項)ではじめて「書類上」という文言が出たのは正式名が別なら別にすべきという主張に対するカウンター

とのことでした(第1項同様、愛称の存在については頭から抜けていて、正式名称は別なら一緒にしてはいけないという意見に対応することを念頭に置いた結果、第3項に至ってこの表現を使ったようです)。したがって、3項の文言が正式名称が別でも統合可能なことを意識したものであることは確かですが、1項2項はその限りでなく、特に意識したものではなかったが、路線という言葉で両者を同一視しているといったニュアンスの様です。

既に議論の本筋がこの件から離れて進行していることや、この話を進めるとしてもやるならあのページではなくPJになることから、回答を求めていた貴方に向けたメッセージとしてこの場で報告します。この報告に対する返信は無用です。それが必要になるのは(他の追加点を含めた)PJ規定文の修正・追加の議論を提議するときになるでしょうから、その時に述べてください。--ButuCC+Mtp 2024年5月27日 (月) 16:38 (UTC)返信

補遺の必要性

補遺は必要性ではなく義務です。ページ本文の書き誤りは後から修正できても、要約欄を書き間違えは後から修正することはできませんので、問題が起きた版と要約欄の真意(誤りの訂正)を明示する必要があります。これがページ本文だけの書き誤りならこのようなことをする必要はなかったのですが、要約欄に一度「ノート:北陸本線」と刻んでしまった事は変えられませんので、こうする他ないのです。単なる書き誤りの修正だけでは後から見た時に(修正後の)ページの記述と(正しくない転記先を明記した)要約欄の記述とで齟齬が発生し、どちらが正しいのか(誤っているならその説明が何故ないのか)という問題が発生します。私としては書き誤りの影響を最小限に収めたい貴方の意向を汲んで、小文字表記かつ最低限の補足に留めたつもりです。--ButuCC+Mtp 2024年6月16日 (日) 15:54 (UTC)返信

意図は理解しました。それであれば自分が"修正"と記した部分にその旨を記せば目的は達成されるように思います。あと、要約欄の方は既にButuCC氏が要約欄で修正をしている為既に必要性は薄れているように感じます(Help:要約欄#要約の変更より)。 --Y-ori会話2024年6月17日 (月) 00:35 (UTC)返信
私の意図は要約欄の補遺の形跡を履歴ではなくページ自体に残しておくことにあるので、差分表示なしの「修正」で片付けるのは不足と考えています。しかしながら、以下の点を抑えた追記を貴方の修正報告に加えられるのであれば、WP:TPOに基づく私のコメントの除去を許可します(逆に言えば、以下の要件を満たさなければ許可しません)。
案1
<small>修正 --[[利用者:WXYZ-origin|Y-ori]]([[利用者‐会話:WXYZ-origin|会話]]) 2024年6月7日 (金) 03:33 (UTC)</small>

<small>{{差分|100612941|100615429||補遺}}:要約欄の「[[ノート:北陸本線]]」は正しくは「[[Template‐ノート:北陸本線]]」 --[[利用者:WXYZ-origin|Y-ori]]([[利用者‐会話:WXYZ-origin|会話]]) 2024年6月7日 (金) 03:33 (UTC)</small>
案2
<small>修正 --[[利用者:WXYZ-origin|Y-ori]]([[利用者‐会話:WXYZ-origin|会話]]) 2024年6月7日 (金) 03:33 (UTC)</small>

<small>{{差分|100628115|100636933||転記先の訂正}}({{差分|100612941|100615429||転記要約欄}}の{{差分|100624055|100624055||補遺}})--[[利用者:WXYZ-origin|Y-ori]]([[利用者‐会話:WXYZ-origin|会話]]) 2024年6月7日 (金) 03:33 (UTC)</small>
日付は6月7日のままでも変更時の時刻に更新されても構いません。--ButuCC+Mtp 2024年6月17日 (月) 16:12 (UTC)返信
案1に従い補遺の集約を行いました。--Y-ori会話2024年6月18日 (火) 00:13 (UTC)返信
確認しました。ご対応ありがとうございました。--ButuCC+Mtp 2024年6月20日 (木) 18:40 (UTC)返信

山陽本線のテンプレートについて

「崩れた表記の修正」はおそらくモバイルビューにおける表示の件だと思いますが、これはモバイルビューだとgroupに設定されているwhite-space:nowrapが効かないことが原因と思われます。そもそもNavboxはモバイルビューでは標準名前空間で非表示になるので、意味のない編集と考え差し戻させていただきました。--新幹線会話2024年6月26日 (水) 04:40 (UTC)返信

自分が修正した時点ではデスクトップ表記で崩れていたんですが(他にも{{信越本線 (長野地区)/sandbox}}等文字数が多いgroup部分が崩れていた)、現在殆ど意味をなしてないので問題ないです。--Y-ori会話2024年6月26日 (水) 05:16 (UTC)返信

環境によって縦書き表記が崩れるため

(環境によって縦書き表記が崩れるため)とのことですが、具体的に貴方の環境ではどのように崩れていたのでしょうか。

これらは私の環境で確認した環境別・ビュー別の表示結果です(いずれも非ログイン状態、ブラウザはデスクトップはChrome、モバイルはFirefox)。貴方が遭遇した状況にもっとも近いのは上記①-⑤のどれでしょうか。表レイアウト(特に横幅絡み)はこれまで何度か互いの表示結果が違うことで状況把握を難しくしていました。今回の質問が状況把握の一助となる事を願っています。--ButuCC+Mtp 2024年6月27日 (木) 17:37 (UTC)返信

縦書き表記崩れに伴う修正は文字サイズの拡大のみです。表のレイアウト変更は年代別より種別毎の変化が分かりやすいように変更させただけで、縦書き表記の崩れとは関係ありません。デスクトップ環境・デスクトップ版(標準)において、文字サイズが80%程度より小さい際に縦書き表記の一部が中途半端に改行される現象が私の環境において発生します(上記の写真に当該の状況は存在しない)。文字サイズの%を極端に小さくするなどすれば再現できるかもしれません。 --Y-ori会話2024年6月28日 (金) 05:20 (UTC)返信
表示内容の検証はまだできていませんが、WXYZ-originさんの方では基本的に①(デスクトップ環境/デスクトップビュー)を確認しながらレイアウトの調整を行っているということは把握できました(私も基本的に同環境ですが、ログイン時のスキンはモノブックなので普段は①とも若干異なります)。今後レイアウトの点で検討を行う際はそれを念頭に置くことにします。--ButuCC+Mtp 2024年6月30日 (日) 18:00 (UTC)返信

削除依頼中のテンプレートの展開はおやめください

現在削除依頼中のTemplate:駅一覧Template:駅一覧詳細を、削除依頼審議中にもかかわらずほかの路線テンプレートに置き換えを行っておられますが、これは一体どういうことなのでしょうか。もし今後も展開を続けられるようであれば、Template名前空間全体に対するブロックをせざるを得なくなりますので、これ以降はほかのテンプレートへの適用はサンドボックスでのためし書き含めおやめください。--VZP10224会話2024年7月8日 (月) 15:41 (UTC)返信

テンプレートの置き換えを進めることで過去版への影響を増大させ存続という結論に誘導しようとする意図が見え見えです。WP:MODULEは合意なきテンプレート置き換えを正当化するものではありません。--新幹線会話2024年7月9日 (火) 03:37 (UTC)返信

反対に強いも弱いもない

元の理由からすれば反対なんですが、そんなに無駄なことがやりたいならやればいいんじゃないですかという気持ちもあります。」という私の意見に対し、貴方のとった行動は即時決行でした。この件そのものはやり直すだけ不毛なので不問でいいと思っていますが、行動原理自体には問題があると思っています。以前より「どの程度反対なのか」「(反対)意見が弱い、薄い」といった感じで反対の程度を計ろうとする返信がされる度、そんな事を聞いてどうする気なのかと不思議に思っていたのですが、今回の件で合点がいきました。意見を無視できるかどうかを計っていたんですね。私は以前、賛成・反対のいずれも表明しておられない方の意見は読みとばすことができるという暴論を吐くブロックユーザーに遭遇しています。それよりは浅いとはいえ、合意形成における他者軽視の表れという点で似たようなものを感じました。

  • 「反対よりコメント」「反対」「強い反対」はいずれも反対意見です。合意形成の場では程度の差を他者が判定してスルーしていいとなることはありません。「元の理由からすれば反対」だが「前略)という気持ちもあります」というコメントは、反対だが妥協の余地ありという、「反対よりコメント」と見るべきです。そこから合意の余地を探るために対話を続けて相手を納得させるならともかく、即時実行するのは話を飛躍させすぎでしょう。反対していないと見做すとしても、最低限、「それは反対を取り下げたと受け取ってもいいですか?」というワンクッションは必要でしょう。そういった応答確認を挟まずにいきなり実行はやりすぎです。
  • 以前も言った通り、議論は私と貴方との間だけで成り立っているのではありません。私の賛否が全てを決めているわけでもないのに、私の返信をもって決定とするのは合意形成期間の猶予を取っていないと言わざるを得ません。少なくとも、上記の応答確認を起点として1週間は置くべきでしょう。「他に意見のある方はいませんか?」という確認の時間です(今回は貴方の応答確認もなく即時決行だったので、起点がそもそも存在しない)。これが私と貴方だけにしか関係のない話なら別にいいんですが、常に第三者の参加が許される公開された議論であるなら、そのような視点を持つべきです。

返信は無用です。これは貴方の合意形成の取り組み方に対する私の評価ですから、あなたの弁解によって揺らぐものではありません。私は今後はそのように警戒しますし、貴方は私が貴方の事をそう考えて警戒しているという事を認識なさっていただければ結構です。--ButuCC+Mtp 2025年4月13日 (日) 17:16 (UTC)返信

随所の統合提案の合理性

Y-oriさんとの統合議論が複数の記事に跨っていますが、統合理由の議論が共通しているのでこちらで失礼いたします。ノート:姫路駅#山陽電気鉄道の駅との統合提案ノート:N高等学校#統合提案再ノート:千葉駅#統合提案ノート:武蔵溝ノ口駅#統合提案の四つのノートに関連しています。どの提案でも「記事の品質を改善する為に、存在が異なるにも関わらず、一つの記事にまとめる」という事で共通しているかと思います。私は「同一とする出典が無く、記事の品質の低さは本質的な問題ではない」という理由で反論しています。現行の分割・統合には、文章量が少なく似通った文章があるという状況であれば、どんな時でも統合してよいという説明はありません。また、プロジェクト等に特例がある訳でも無いと存じます。一般論として「記事品質の低さは異なる存在であってもその類似性により同一記事へ統合できる」とする合理的且つ積極的な理由を提示頂けませんでしょうか。また、「記事品質の低さ」≒「分量が少ない」という基準が曖昧なので、統合を可とする判断が出せません。ノート:姫路駅#論点2:加筆内容についてノート:姫路駅#論点4:文章の内容量と単独立項の執筆性の関係でも基準を教えて欲しいと尋ねましたが、具体的な回答が得られておりません。また、こちらのコメントでは、統一はできないので臨機応変に対応したいと述べられていますが、私も記事毎に最も適した対応をすべきだとは思いますが、各議論で共通している統合理由の根幹部分は議論場所を分散させずに井戸端かプロジェクトで合意形成した方が良かったのではないかと思います(尚、私は記事品質の問題に基づく統合には反対の立場ですので提起する事ができません)。同様の統合議論が乱発された件については、後発の提案で先発の提案に為された反論意見が踏襲されずに拙速的に進められた事が、正直、不満に感じました。--Takym(読み:たかやま、2025年5月14日 (水) 12:02 (UTC)返信

もう一点気になる事があります。反論を投稿する権利は、もちろん全てのウィキペディアンにありますが、しかし、Y-oriさんの反論の意図が分かりませんでした。私の意見が変わる事を期待して行っているものなのか、それとも他の参加者に向けているものなのか、はたまた重要な観点を見逃さない様にする為に議論を活発化させる目的があるものなのかが分かりません。私の意見変更を求めているのであれば、私が何もアクションしない場合、「黙認した」と見做されるのか、それとも「元の意見を堅持した」と見做されるのかどちらなのでしょうか。複雑化した議論は少人数で結論を出すべきではありませんので、Y-oriさんと私の意見のみで決する方向に持って行くべきではありません。私が意見を変えたからといって、直ちに議論の結論が変わる訳ではありません。統合に反対する他の参加者が現れるかもしれません。
私は、統合議論では「同一の存在であるとする出典がある」か、若しくは「記事品質の低さの改善の為の統合に合理性がある」という事であれば、統合に賛同できると何度も述べています。しかし、それに対する反論は、記事品質の低さを訴えるものであり、統合の合理性を説明するものではありませんでした。私は現状の記事には全く問題無いと主張している訳ではありません(それでも問題は少なく分割状態でも解決できると思っていますが)。ある記事A記事Bへ統合する場合、統合後の記事の主題はBになります。その場合、ABの間で後者が優先される事になり、中立性の問題を新たに生み出してしまいます。また、異なる存在であるにも関わらず同一であると誤解させる様な構成の仕方も非中立的です。中立性を犠牲にしてまで統合する事には賛同できない訳です。この問題に関する代替案や妥協的解決策、合理的な反論があれば私も納得できるかもしれません。中立性を前提とする理由はWP:5の他に、中立性こそ記事品質の重要な指標だと考えているからです。文章量も確かに重要ですが、「中立性」には敵いません。--Takym(読み:たかやま、2025年5月14日 (水) 12:30 (UTC)返信
「具体的な回答が得られておりません」→ 具体的な回答はありません。分量の少なさ、それに対する出典の少なさ、特筆性の薄さなど複合的観点より結論付けています。そして、その基準は定量的でなく割と大雑把なので具体性を求められても「無理」としか言いようがありません。
「統合理由の根幹部分は議論場所を分散させずに井戸端かプロジェクトで合意形成した方が良かったのではないか」→ 「1つのページ中で一緒に解説すべきにも関わらず、必要以上に細切れにされてページが作られている場合」「共通点のあるスタブが複数存在する場合」で説明できていると思っています。分量が少ない=細切れにされていると捉えることもできるでしょう。そして、「同一の概念や事物に関して~」とは別項目であるということは、同一項目であるということは必ずしも必須でないということです。問題は何をもって「1つのページ中で一緒に解説すべき」かどうかですが、多分井戸端へもっていっても「ケースバイケース」で終わるか停滞するような未来しか見えないので、積極的に議論するつもりはありません。むしろ貴殿が逆説的に議論提起するのもありではないでしょうか(私は記事品質の問題に基づく統合について私は反対だがどう思うのか~、といった形)。ここでの私と議論とは違った視点が見えると思います。
「私が何もアクションしない場合、「黙認した」と見做されるのか」→ 何もアクションをしないのであれば原則「黙認」と判断しています。
「ある記事Aを記事Bへ統合する場合、統合後の記事の主題はBになります」→ これって何か根拠があったりしますか? 特に「統合後に改名を行う」場合にまでこれを適用とさせているように見えるのですが、はっきり言って持論の域を出ないと思っています。どの記事が主題かどうかはタイトルではなく記事の内容で決まるものであって、同一の記事で紹介されていることが同一の項目であることを意味しません。大項目主義と小項目主義の違いのようなものです(今回の事例だと折衷案である中項目主義と言うべきか)。そして、事実上同一である項目を「実際は違う」という理由だけで別にする意見も中立的とは言えないでしょう。--Y-ori会話2025年5月14日 (水) 13:51 (UTC)返信
返信 長文失礼します。
「具体的な回答が得られておりません」→ 具体的な回答はありません。分量の少なさ、それに対する出典の少なさ、特筆性の薄さなど複合的観点より結論付けています。そして、その基準は定量的でなく割と大雑把なので具体性を求められても「無理」としか言いようがありません。
貴方の感覚で判断したものに対して、同意を求められても無理があります。結論が複合的観点に基づくのであれば、それは説明できる性質のものです。
「統合理由の根幹部分は議論場所を分散させずに井戸端かプロジェクトで合意形成した方が良かったのではないか」→ 「1つのページ中で一緒に解説すべきにも関わらず、必要以上に細切れにされてページが作られている場合」「共通点のあるスタブが複数存在する場合」で説明できていると思っています。分量が少ない=細切れにされていると捉えることもできるでしょう。
なぜ「分量が少ない」と「細切れにされている」が同一のものと解釈されているのでしょうか?何度も述べていますが、記事の文章量は特筆性だけではなく執筆者が居るかどうかという現実的な問題も影響しています。分量の少なさは記事が細切れにされている事を証明するものではありません。そもそも私が意を唱えている時点で、貴方と私の間で、前提を共有しているという事実がありません。
そして、「同一の概念や事物に関して~」とは別項目であるということは、同一項目であるということは必ずしも必須でないということです。問題は何をもって「1つのページ中で一緒に解説すべき」かどうかですが、多分井戸端へもっていっても「ケースバイケース」で終わるか停滞するような未来しか見えないので、積極的に議論するつもりはありません。むしろ貴殿が逆説的に議論提起するのもありではないでしょうか(私は記事品質の問題に基づく統合について私は反対だがどう思うのか~、といった形)。ここでの私と議論とは違った視点が見えると思います。
「別項目」「同一項目」とは何の事ですか?「記事」・「ページ」や「節」と紛らわしいので、記事の事であれば明確に「記事」と書いてください。以降の文章で「項目」と「記事」を使い分けている様に見えるのですが、その為に理解を困難なものにさせています。
「ケースバイケース」(≒場合による)といった言葉で誤魔化されても困ります。どの場合でどの様な結論を導き出すのかという抽象的な基準を設ける事はできるでしょう。ここで、「抽象的」というのは、「曖昧」という意味では決してなく、「一般的・共通的な事項を論理的にまとめたもの」を意味します。
「私が何もアクションしない場合、「黙認した」と見做されるのか」→ 何もアクションをしないのであれば原則「黙認」と判断しています。
明示的に「反対意見を取り下げる」と主張しない限りは「黙認した」と見做してはいけません。#反対に強いも弱いもないと内容が被りますが、合意形成を図る上で他者の意見を軽視している様に感じます。若しくは、統合自体を目的化した上で、反対意見を投じようという意思を全て潰していこうという意思を感じます。
こちらのコメントで述べた大前提をこちらにも掲載します:「統合そのもの」ではなく「ウィキペディアの改善」を目的にしてください。分割・統合・転記・改名等はあくまで手段であって、目的となる事は一切ございません。また、私の反対票を撤回させたり賛成票に付け替えさせようとするのではなく、他の利用者から賛成意見が投稿されるのを待ってください。それでも賛成意見が投稿されないのであれば、統合否決がコミュニティの合意とお考えください。
反証可能性も参考になるでしょう。
「ある記事Aを記事Bへ統合する場合、統合後の記事の主題はBになります」→ これって何か根拠があったりしますか?
統合の手順の6にはっきり「甲と乙の意味(広狭)に違いがあった場合でも、統合完了後の乙の編集はあくまでも乙の記事名を基準に行います。統合完了後に乙の見出し語と直接的な関連性のない記述を含めてはいけません。」と書かれています。また、ABのどちらか一方を優先させたり、Aでないにも関わらずBであると誤解させる書き方も中立性の点で問題があります。
特に「統合後に改名を行う」場合にまでこれを適用とさせているように見えるのですが、はっきり言って持論の域を出ないと思っています。
新設統合を行ってはならないと述べた事は一度もありません。しかし、新設統合を行う場合は、対象となっている記事の全ての観点を含む様な名称にしなければなりません。
もしかして、ノート:N高等学校#統合提案再の事を言っておられるのですか?私の 条件付反対の直後に書かれている理由をよく読んでください。統合先をN高等学校とする場合に 強く反対し、角川ドワンゴ学園とする場合に 中立 賛成 ではない)としています。三校併記案には 反対 していますが、「N高グループ」案にはまだ意見を述べておらず 保留となっています。同提案は新設統合の形を取っておりませんので、依然として主題となる学校がどれになるのかという問題が残っています。代替案は、あくまで提示されただけで、まだ合意には至っていないという認識です。ただし、改名案は、新設統合として記事を再構成するというものではなく、N高等学校への統合を基本として記事を構成するものと認識しております。
どの記事が主題かどうかはタイトルではなく記事の内容で決まるものであって、同一の記事で紹介されていることが同一の項目であることを意味しません。大項目主義と小項目主義の違いのようなものです(今回の事例だと折衷案である中項目主義と言うべきか)。
記事名が記事内容を規定しないという主張には同意できません。WP:NWP:NCには同一記事で複数の主題を取り扱っても良いとは書かれておりません。統合の手順には、統合後の記事名が優先される事がはっきり書かれています。記事名にはその記事の中で説明している事柄を含んでいなければなりません。「どの記事が主題かどうか」は意味が分かりません。「どの概念が記事の主題かどうか」の書き間違いではありませんか。
そして、事実上同一である項目を「実際は違う」という理由だけで別にする意見も中立的とは言えないでしょう。
中立性を担保すべきというのは記事内容における話です。同一である存在を異なるものと表現していれば、明らかに誤った記述となるでしょう。統合作業においては、「統合すべき」・「統合しないべき」のどちらの意見も決して中立ではありません。そもそも意見である時点で中立とは呼べないのです。また、それぞれの提案において、「事実上同一である」という根拠は今まで提示頂いておりません。「名目上は異なる存在ではあるが、しかし、異なる存在であるという事に異を唱える検証可能且つ信頼可能な資料」がある場合には他の意見になるかもしれません。

他に思った事を述べます。
今回の返信で回答が付かなかった質問を一部抜粋して再掲します。ご回答お待ちしております。
  • 一般論として「記事品質の低さは異なる存在であってもその類似性により同一記事へ統合できる」とする合理的且つ積極的な理由を提示頂けませんでしょうか。
  • Y-oriさんの反論の意図が分かりませんでした。私の意見が変わる事を期待して行っているものなのか、それとも他の参加者に向けているものなのか、はたまた重要な観点を見逃さない様にする為に議論を活発化させる目的があるものなのかが分かりません。
  • この問題に関する代替案や妥協的解決策、合理的な反論があれば私も納得できるかもしれません。中立性を前提とする理由はWP:5の他に、中立性こそ記事品質の重要な指標だと考えているからです。文章量も確かに重要ですが、「中立性」には敵いません。
    • 中立性と文章量のどちらに重きを置いているのか回答お願いします。
--Takym(読み:たかやま、2025年5月15日 (木) 02:14 (UTC)返信
コメント Y-oriさんは「統合しない積極的な理由が必要」と仰られますが、反対派にとっては「統合する積極的な理由が必要」となる訳です。また、私が意見を変更したとしてもそれをコミュニティの合意として扱う事はできません。ウィキペディアはY-oriさんと私の二人だけで回っている訳ではないのです。言論の自由に基づきY-oriさんは統合賛成をいつでも主張する事はできますが、一方で私も統合反対を主張する事ができます。いくら私が反対を主張しているとは言え、多くの意見が賛成であれば統合は実施されますし、逆に反対意見しか付かなければ実施されません。決して少人数で結論が下される訳ではありません。もしくは、あなたが私に妥協案を提示するなら、私の意見も変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません。姫路駅の件では、私の方から妥協案を出しました。しかし、Y-oriさんは妥協案を提示するよりも統合のみを唯一の解決策として主張されており、私もウィキペディアに掛けられる時間には限りがありますので、残る件では妥協案は出さないつもりです。--Takym(読み:たかやま、2025年5月15日 (木) 07:33 (UTC)返信
コメント ノート:N高等学校ノート:武蔵溝ノ口駅とは論点が逸れるので、こちらで返信します。貴方の反論はどうにも字面を表面的に捉えている様に見えます。疑問があれば反論するのは当然と述べられていますが、反論の形ではなく質問の形で行うべきですし、必要以上な反発を招く事もありません。出典や正式名称を挙げられない理由を述べた上で、それを出典や正式名称の提示を求めてはいけない理由とするのは、論理的に難がありますよ。--Takym(読み:たかやま、2025年5月17日 (土) 13:56 (UTC)返信

コメント依頼

あなたの議論姿勢についてコメント依頼を提出しました。--Takym(読み:たかやま、2025年5月22日 (木) 17:53 (UTC)返信

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

Portal di Ensiklopedia Dunia

Kembali kehalaman sebelumnya