利用者:みーたのメトロ。
みーたのメトロ。は、20歳になりたてのウィキペディアン。 編集は準精密。間違いの指摘(sp)が多い。なお、広汎性発達障害のウィキペディアン。障害者のウィキペディアンは珍しいかも。 今後、wikiの活動を画像アップロードと、当ページの編集に縮小します。また、インターネットカフェでの編集にも利用しています。 編集の特色
自ら立ち上げた記事リダイレクト、曖昧さ回避から通常記事にしたものを含む。 ルビを書いた記事花ざかりの君たちへ、暴れん坊ママ、太陽にほえろ!、牛に願いを Love&Farm、薔薇のない花屋(IP) 鉄道好きの事柄鉄道マニアなので、さっと紹介する。 JR関連ちなみに私は、2005年2月28日のあさかぜと、さくらの最後の見送りを経験した。報道陣がいっぱいいたことを確認。 大手私鉄
その他鉄道画像の投稿のため、WikiMedia Commonsのアカウントも作成済み。 コスプレのことコスプレに興味を持ったのは2003年のこと。きっかけは『ファイナルファンタジーX-2』で「もしユ・リ・パが実写ドラマに出てきたら…」ということである。当初はドラゴンクエストシリーズのオンリーイベントを中心に撮影していた。 2005年末には「プリキュアシリーズ」、2008年には「VOCALOID」、2010年には「けいおん!」のコスプレにも興味を持った。 カメラマンとしての活動2009年2009年はオンリーイベントのみに参戦。8月30日に大田区産業プラザで行われた「SING A SONG」と、9月6日に行われた「THE VOC@LOiD M@STER 9」、9月22日に晴海客船ターミナルで行われた「みんなでニコニコ! ボカロ祭」への参加をきっかけに、VOCALOID熱が上昇してゆく。 2010年2010年1月、撮影機材をGE A1050に変えたことがきっかけで、オールジャンルコスプレイベントの参加を決意。当初は東京ドームシティとオンリーイベントのみの参加方針をとっていたが、4月18日にパシフィコ横浜で行われた「Cure Cosplay Festval vol.2」をきっかけに活動範囲を拡大。しかし、5月22日の川崎で起こした不祥事により、2011年現在、HIA主催によるイベントへの参加を自粛している。また、6月26日には、コスコスプレプレとのコラボで、ロロノア・ゾロのコスをしたケンドーコバヤシさんを見た。 7月11日には「となりでコスプレ博」へのステップのため、TFTホールでの活動を開始。8月13日に「となりでコスプレ博」に初めて参加した。その2日後、旅人Shuさんのお誘いもあり、長年の夢であったコミックマーケット78に初参加。これ以降、月に2〜4度のペースでコスプレイベントに参加している。9月には、「東京ゲームショウとコスプレフェスタが同日に開催される。どっちに行きたい?」と聞かれ、私は迷わず「コスプレフェスタです」と答えた。10月は晴海客船ターミナルのコスプレに参戦。11月は東京国際交流館の「東京国際レイヤーズフェスティバル」に初参加。当時は2,500円と高く、消極的だった。12月の東京ドームシティは予め前売り券を確保したため勝ち組♪夜間までの参加も初。年末には「コミケ79&となコス」のために臨戦体制を整えたほどでもある。 6月・7月には5連闘[1]、11月には4連闘[1]を行った。 2011年2011年の第1四半期は栄光と挫折を味わった。1月15日と16日に東京ドームシティのイベントに参加したものの、1月30日に起こった「スピニングコースター舞姫」の死亡事故の影響により、2月5日と6日、3月20日・21日のコスプレイベントが開催中止となる憂き目に遭う。1月29日には東京都の4大コスプレ会場[2]のひとつ、「JCF in としまえん」に初参加。土曜日だったので、参加者が少なく鬱。「やっぱり、日曜日のほうがいい」と言う本音を吐く。2月には新たな刺激を与えようと、フェスティバルウォーク蘇我に参戦。 3月6日、フェスティバルウォーク蘇我に参加。ここまではよかったのだが、11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)により、活動範囲を大幅に狭められることに。特に晴海客船ターミナルが使えなくなったことが非常に手痛い。震災を機に、2011年6月25日まで連続でコスプレイベントに出撃した。 4月17日から、キヤノンのPowerShot SX130ISを購入し、撮影能力が大幅に向上した。 8月と12月には、となりでコスプレ博に3日間フル参戦。3日間フルで参加したことは初めて。 下表は事故や地震等の影響で開催が中止となり、振り替えたイベントの一覧。
2012年最初に選んだイベントは、いつもの東京ドームシティではなくパシフィコ横浜だった。 3月11日、「スカッとゴルフ パンヤ」でのコラボがきっかけで「〈物語〉シリーズ」を撮影するようになる。 撮影で大きな転機となったのは3月17日だった。友達と一緒に東京ドームシティにデートした際、「うたの☆プリンスさまっ♪」を紹介したことがきっかけで、以後撮影が頻発するようになった。しかし、TFTホールでの料金改定もあり[8]、行くイベントの回数が減少傾向にある。6月は3回しか行かなかった。 2次創作キャラクターを電車やバスを当てはめる。これが好き。 一例を挙げる。
表中の太字は、メイン車両として位置付けている。 実は…私、「みーたのメトロ。」の父は、あのスペースインベーダーでグループ達と遊んでいる最中にあの名古屋撃ちを発見。私の父は第一発見者の一人かもしれない。 私が原因で変更・縮小になった企画の事例
そのほかの事柄
脚注
外部リンク
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