北豊津信号場
北豊津信号場(きたとよつしんごうじょう)は、北海道山越郡長万部町字豊津にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の信号場。電報略号はヨツ[2]。事務管理コードは▲140126[3]。旅客扱い末期の駅番号はH50。 歴史太平洋戦争に伴う戦時輸送力強化の一環で設置された信号場である[2]。 当地には太平洋戦争終戦以前は陸軍の軍馬補充部豊津種馬所が所在したことや、戦後にも砂鉄の採集が行われていたことを理由に仮乗降場として旅客営業も行われており[4]、国鉄分割民営化と同時に駅に昇格したが、2017年(平成29年)3月4日に旅客扱いを廃止し[JR北 1]、信号場となった[5][6]。 ![]() 年表
信号場名の由来所在地「豊津」の北方にあるため[11]。 もともと当地は「六津(ろこつ、ろくつ)」と呼ばれていたが[12][11]、信号場開設前の1940年(昭和15年)の地区名改正で地名が「豊津」となっている[11]。 「六津」の名称は長万部町と八雲町の境を流れるルコツ川のアイヌ語名である「ルコッ(ru-kot)」(足跡・くぼみ→道・沢)に由来し、これはかつてルコツ川沿いに瀬棚方面へ山越えする道があったことに由来するとされる[13]。 構造もともと函館方が両開き、旭川方が下り線を直線とする片開き分岐器(いずれも安全側線なし)の単なる2線構造の信号場であったが[2]、1970年(昭和45年)に当信号場から長万部方が複線化される際に上り本線が単線区間に進入する直前の函館方の両開き分岐器に安全側線が付帯された[10][2]。 旅客扱い当時はこれに加え相対式ホーム2面2線が設置され、構内踏切で結ばれており[2]、ホームの脇に待合所があった[1]。 利用状況砂鉄資源の枯渇による集落戸数激減以前は乗降人員も相当あったとされているが、以降は乗降もほぼない状態が続いていた[4]。 旅客営業当時の乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。 また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
周辺隣の施設脚注注釈出典
JR北海道
新聞記事
関連項目
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