北野CLUB北野CLUB(きたのくらぶ)とは、CROSS FMが1995年から2002年3月まで放送していたラジオ番組である。 正式タイトルは『CROSS MEGAHITS RADIO 北野CLUB』。 概要当時福岡で人気を博していたKBCラジオ「中島浩二アワー・THE3P」やfm fukuoka(TOKYO FM発)「赤坂泰彦のミリオンナイツ」に対抗すべく、当時CROSS FMに登場してまだ間もない北野順一(JK)をナビゲーターに据えスタートさせた。 スタート当初は月曜から木曜の21:00~24:00と、金曜の23:00~25:00に編成。JKの担当は月曜から水曜と金曜で、木曜は寺岡呼人が担当していたが、寺岡の降板後は金曜パートが削減され、月曜から木曜までJKの担当となった。 JKの日本語と英語を取り混ぜたバイリンガルDJはもちろんの事、リスナーに対する真摯な姿勢が共感を呼び、たちまち福岡の夜を代表する人気番組となり(JKも人気ナビゲーターの仲間入りをした)、毎晩北九州市内の本社スタジオの外にはJKに会いに来るリスナーが後を断たなかった。また、番組に寄せられるメッセージも同局の番組の中では群を抜いて多く、メッセージ受付の電話やFAXは毎晩繋がり難い状態が続いた。 1999年春にJKが東京進出(TOKYO FM「エモーショナルビート」出演)してからは東京タワーの近くにスタジオを借り、ここを「CROSS FM東京スタジオ」と命名し、2002年3月に終了するまで福岡に向けて放送を続けた(この間祝祭日を中心にJKが北九州に戻り放送することもあった)。 JKが1週間の長期休暇を取る際には事前に1週間分の収録を行っていた為、ピンチヒッターが登場することは殆どなかった。 曜日ごとの選曲テーマ各曜日ごとに選曲テーマを設け、それぞれテーマにあった曲を中心にエアプレイされていた。
「○○ Night」のタイトルは後に外れたものの、選曲テーマはそのまま引き継がれた。 主なコーナー
最終回
通常であればオーラスのコーナーでは上にある通り深刻な悩みを抱えている人のメッセージを紹介するのだが、この日はJKはリスナーのラジオネームを数多く読み上げ、そのあとは北野CLUBに携わっていたスタッフ、番組オペレーター、各レコード会社、そしてリスナーに拍手を送ることを呼びかけた。 最後を締めくくる曲として選ばれたのは、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」であった。歌終了後はいつもの通りに午前零時の時報が流れた。この時報もJKが英語で言っていたが、2002年4月からは時報の担当者が変わった。 関連項目
|
Portal di Ensiklopedia Dunia