南樽市場
南樽市場(なんたるいちば)は、北海道小樽市新富町にある市場。正式名称は「南小樽市場(みなみおたるいちば)」だが、2000年代以降にはこの名は「南小樽市場協同組合」程度にしか使用されておらず、通称の「南樽市場」の名が定着している[1]。本記事では、同市築港に新設された新南樽市場(しんなんたるいちば)についても記載する。 沿革南樽市場の前身は、昭和初期に小樽市に建設された高砂市場である[2]。高砂市場は当時の市内の露天商たちにより、北海道の救済法(北海道非条令)のもと、1938年(昭和13年)に建設された。当時としては非常に近代的な市場で、開店当時は大盛況であった[2][3]。しかし1941年に大東亜戦争が勃発。配給制度が開始され、市場は廃業を余儀なくされた[2]。 終戦後の1949年(昭和24年)、地元の商業者や樺太からの引揚者の救済の名目のもと、高砂市場の会長らにより創立発起人が結成され、市場建設が開始された。同年6月、木造建築の長屋方式の市場が完成し、食品主体の小売市場の営業が開始された。1950年(昭和25年)には南小樽市場協同組合が結成され、繁栄の一途を歩んだ[2]。 やがて木造の市場の老朽化にともない購買力が低下したため、改築が必須となり、1968年(昭和43年)7月に改築工事が着工。同年12月には新たな市場が完成して営業が開始され、現在に至る。かつての高砂市場と同様、この建物も当時としては非常に近代的で、北海道・東北随一の市場として絶賛され[4]、開店当時は大盛況だったという[2]。 国道から百メートルも奥にあり、周囲には商店街もないという立地の悪さから、小樽市内の他の市場と比較すると、当初の客足はいま一つであったが、毎週2度の「週末特売」、毎月2度の「激安市」と特売日をもうけ、その4万枚以上の広告紙を小樽市内に配布するという戦略により[5]、売上は逆転し、2000年代以降には「南樽は市場の王様」「南樽の一人勝ち」と呼ばれるに至る[6]。 特徴古くから小樽市民の台所として知られる[7]。全30店舗のうち9件が鮮魚店だが、ほかにも野菜、果物、肉、惣菜、日用品、花など生活に密着した店舗が揃い、小樽市民がごく普通に利用する市場である[3]。 港町である小樽だけあり、魚介類は新鮮で安価なものが多く揃い[3]、地元の料理人たちも買い出しに訪れるという[4]。道外の人には珍しいハッカク(トクビレ)、カスベ(エイ)なども扱う[3][7]。夕方になると、魚が売り切れていることもある[7]。惣菜店の揚げかまぼこも人気が高い[3][7]。 このほか、市場中央では寿司屋「わさび」が営業しており、20年以上のキャリアを持つ店主による新鮮な寿司を、手軽に味わうこともできる[7][8]。 観光においても、札幌市から1時間弱で行くことができ、短時間で周ることのできる規模のため、手軽に楽しむことができる市場である[7]。 新南樽市場
新南樽市場(しんなんたるいちば)は、北海道小樽市築港にある市場。南樽市場から分離する形で新設された。 南樽市場が各メディアで報道され、道内各地をはじめ全国の観光客に注目されて利用客が激増し、駐車場も手狭になったことなどから、1999年(平成11年)に建設に至った[7][9]。建設地である築港は、小樽で最も注目される場所として選ばれた[9]。マイカル小樽(現・ウイングベイ小樽)の進出により減少した客数と売上の挽回も、開業の目的の一つであった[10]。 兼ねてからの要望に応え、大型の駐車場を供え、広いスペースに25の店舗が集約されている[11]。さらに同じフロアには三喜(ファッション市場サンキ)[12]、2階には100円ショップのダイソー、隣にはウイングベイ小樽があり、買物のすべてが賄える商業地ともなっている[11]。 イメージキャラクター
アクセス
脚注
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