北海道銀行
株式会社北海道銀行(ほっかいどうぎんこう、英: The Hokkaido Bank, Ltd.)は、北海道札幌市中央区に本店を置く第一地方銀行(いわゆる戦後地銀)である。通称は道銀(どうぎん)。北陸銀行とともにほくほくフィナンシャルグループの傘下にある。キャッチフレーズは「どさんこバンク」。 概要北海道の産業育成や地方経済活性化を期待して道内の商工業者を中心に設立され、第二地方銀行である北洋銀行に次ぐ道内第2位の地方銀行として、戦後の北海道経済に大きな役割を担っている。現在も道内を中心とした支店、営業網を持つ。 2010年12月末に、預金量が創業以来初めて4兆円に達したことが発表された。 1998年以前は道内所在の地方銀行としては最大手であった。しかし1998年、道内最大の金融機関であった北海道拓殖銀行(都市銀行)が経営破綻したため、現在では同行の営業を譲受した北洋銀行が道内最大の地方銀行となっている。 バブル崩壊の影響で一時経営難に陥り、2000年代に入って富山県富山市に本店を置く北陸銀行との経営統合と公的資金注入を経て[3]経営を再建した。その後、設立以来初の同行出身(プロパー)頭取の就任、個人向けに特化した新店舗の開設(2008年10月)などの経営改革を進めている。 また、経済産業省によって2017年度から2024年度まで、7年連続で健康経営優良法人(ホワイト500)に認定されている[4][5]。 歴史旧・北海道銀行(現在の北海道銀行とは無関係)は、1891年(明治24年)札幌に設立された屯田銀行と1894年(明治27年)に余市町で設立された余市銀行(後の小樽銀行)を母体とする。後の合併により、北海道商業銀行となるが、第二次世界大戦中の金融統制(一県一行主義)により北海道拓殖銀行(拓銀)に統合されて消滅。 現在の北海道銀行は戦後の経済復興で高まる資金需要に応えるべく、1950年(昭和25年)、旭川市で行われた全道中小企業会及び全道商工会議所大会で新銀行の設立が決議された。これに伴い、翌1951年(昭和26年)3月、株式会社北海道銀行(道銀)が発足、いわゆる戦後地銀として営業を開始した。また初代頭取には島本融が就任した。 北海道経済界においては拓銀が都市銀行として確固たる地位にあり、本州でも営業していた。これに対して北海道銀行は北陸銀行、北洋相互銀行(後の北洋銀行)、北海道相互銀行(後の札幌銀行)、及び道内各地にある信用金庫などともに広大な北海道各地域の経済を支える役割が期待された。 同行は高度経済成長期に順調に支店網を拡大し、1970年代には森鼻武芳頭取のもと、預金・貸付残高で地方銀行の上位10行に入るまでに成長。名実共に北海道第2位の銀行としての地盤を固めていった。しかし、この頃から顕著となりつつあった石炭産業の斜陽化から、これに代わる産業の育成が急務とされていたが、依然として公共事業に依存する北海道経済の体質が変わることはなかった。こうした実態経済の先行き不安の一方で、1980年代から加熱する不動産融資ラッシュに乗り遅れまいとする経営陣の焦りがあり、この頃から過剰な融資が目立つようになっていった。 バブル崩壊後の公共事業の削減を中心とする道内経済の停滞の中で、1997年(平成9年)には経営難にあった拓銀との合併話が持ち上がるが、道銀自体も不良債権を抱えて経営は火の車であった。このため合併話は破談となり[注釈 1]、同年11月、拓銀は経営破綻した。 当初、大蔵省は道銀を旧拓銀の受け皿行に考えていたが、合併協議が頓挫した直後でもあり、結果的に日本銀行が推す道内第3位の北洋銀行が受け皿行に決まった経緯がある。旧拓銀の道内支店は北洋、道外支店は中央信託銀行(当時)に営業権が分割譲渡され、拓銀破綻前は取引規模で道内2位だった道銀は同3位の北洋銀行に破綻後の取引先の大半を奪われることとなった。 拓銀破綻後の道内では企業の連鎖倒産が相次ぎ失業率も上昇、景気もどん底であった。道銀も多額の不良債権を抱え、1999年(平成11年)3月には自己資本比率が僅か3%台にまで落ち込んだ。拓銀の二の舞だけは避けたい道内企業が約537億円の増資を引き受け[注釈 2]、金融監督庁による早期是正措置を受けて翌2000年(平成12年)には約450億円の公的資金の注入を受けることで最悪の事態は避けられた。その後、不良債権の最終処理にあたっては、2002年(平成14年)9月、本店ビルと敷地を将来の再開発を前提で、平和不動産へ売却した。この間、1991年(平成3年)から平成14年までの実に12年間にわたり、総額6027億円もの不良債権を処理した[6]。2003年(平成15年)3月期に約550億円の赤字決算となったが、以後は徐々に業績は持ち直した。 2004年(平成16年)9月、北陸3県および道内を地盤とする北陸銀行を傘下に持つほくぎんフィナンシャルグループと経営統合を行い、ほくほくフィナンシャルグループを設立[注釈 3]。北陸銀との重複支店の譲受などで経営の立て直しが行われた。2012年(平成24年)10月1日には、シンクタンク子会社として道銀地域総合研究所を設立。調査・研究の受託や、株式公開支援を行うとしている[7]。 現在、道内に132の支店・出張所を持ち、道外にも東京支店(東京都中央区)と仙台支店(仙台市青葉区)の2店舗がある[注釈 4]。後に東京支店は北陸銀行東京支店の室町中央ビル9・10Fへ移転し、仙台支店も荘内銀行の協力で同行仙台支店のある荘銀ビル6Fへ移転し、いずれも空中店舗に再編されている。2013年3月には北海道新幹線開業(新函館北斗駅まで)による経済交流促進や、東日本大震災・福島第一原子力発電所事故の北海道内への避難者支援を目的に、七十七銀行や東邦銀行、岩手銀行など東北地方地銀10行(既にATM無料化で提携済の荘内銀行、秋田銀行、みちのく銀行を含む)と業務提携を締結した[8]。 自治体の指定金融機関としては、士別市や広尾町など1市13町で道銀を指定している[9]。また、札幌市は6事業会計の出納取扱金融機関に道銀を指定している。 沿革
サービス地銀ATM共同利用提携(相互無料開放)個人・法人カードにて北陸銀行、横浜銀行、荘内銀行(山形県)、青森みちのく銀行、秋田銀行、東邦銀行(福島県)、岩手銀行、沖縄銀行の地銀8行及び道内10信用金庫・4信用組合の計22行とATM共同利用提携を締結しており、20行ATMでの道銀のカード出金は平日時間内は手数料が徴収されない。地銀8行との提携で東北地方・北陸地方・東名阪・沖縄県でのカード出金の利便性が向上している[注釈 5]。 →詳細は「公式サイトの他行ATM提携」を参照
コンビニATMサービスセブン銀行以外の提携コンビニエンスストアATMでのカード入金は24時間終日無料で対応可能であった(法人カードも利用可能)。しかし、同行でのカード入金取り扱いが開始された2024年7月15日からはイーネット・ローソン銀行でのカード入金も要手数料となった。また、2011年5月からは全てのコンビニATMでICカード対応を開始している。 2024年7月よりセイコーマートにて自行直轄の「道民のATM」設置を開始した。それまではBankTimeを設置していたが、同年度を以てサービス終了となるため転換された。 →詳細は「公式サイトのコンビニATM」を参照
道銀ダイレクトサービス個人向けに基本手数料が無料で提供される道銀ダイレクトサービス(テレホンバンキング・インターネットバンキング・モバイルバンキング)が取り扱われている。テレホンバンキングによる「残高照会」「取引明細照会」は同サービスに申し込みを行わなくても可能である上、キャッシュカード非契約口座の照会も可能となっている。ただし、定期預金取引はモバイルバンキングでは不可能。2013年11月18日からは個人キャッシュカード利用者向けで、取引照会専用の簡易インターネットバンキングも開始した[64]。 無通帳web口座「スマートLeaf」2013年3月1日から通帳を発行しないweb口座「スマートLeaf」の取扱いを開始した。道銀ダイレクトサービスの契約が必須ではあるが、通帳からの切替も取引店または最寄の本支店において可能である。一義的にはキャッシュカードを用いてATM(道銀、共同利用地銀7行、コンビニATM)で取引を行う。これにより、通帳記帳・繰越のための来店が不要になるため、広大な道内ゆえに店舗網が薄い地域や東京支店・仙台支店の利用者の利便性が大きく向上する。対象カードは通常のキャッシュカードの他にクレジットカードと一体型の「道銀キャッシュ・クレジットカード」「道銀キャッシュ・クレジットカードKitaca」でも可能となっている[65]。 さらに2014年3月17日からはシステム改良により、既に普通預金口座のみ開設済みの場合でも定期預金の新規口座開設がダイレクトサービス画面上できるようになったほか、来店不要で同画面上での総合口座通帳・普通預金通帳からの無通帳化への切り替え手続きも可能になっている。 情報処理システム北海道銀行における情報処理システムは、1971年(昭和46年)6月、電電公社と共に構築したシステムが稼働したことに端を発し1976年(昭和51年)7月には事務企画部、電電公社、各営業店による三位一体の準備を経て生まれた総合オンラインシステムが稼働した[6]。また1983年(昭和58年)10月には、地銀各行が1985年(昭和60年)以降、順次導入する第三次オンラインシステムを上回る処理力を誇る第二次オンラインシステムが稼働した。さらに、1990年(平成2年)10月にはシステム部門と事務管理部門の一元化を図るべく、白石区東札幌に総合事務センターである「東札幌道銀ビル」が竣工した。そして翌年3月には道銀、NTTデータ通信、富士通による三者共同方式で進められ、237億円の巨費を投じたシステムが情報系で稼働し、1993年(平成5年)1月には第三次オンラインが全面稼働となった[6]。 その後道銀は、2007年(平成19年)5月移行を目指しNTTデータ地銀共同センターへの参画を表明するも、北陸銀との経営統合が実現し事務の効率化が喫緊の課題となっていたこともあり、同センター移行の基本契約に至らず、横浜銀行の提案による道銀、北陸銀、浜銀とNTTデータによる業界最大規模となる共同システム化を目指すことになり、2005年(平成17年)11月、共同開発で合意した。このシステムは「MEJAR」と呼称され[注釈 6]、2011年(平成23年)5月6日、道銀と北陸銀は同システムに同時移行した[注釈 7][6][66][67][68]。 支店・営業拠点網
ギャラリー同行の各支店等の一例(3桁の数字は店番号)。
不祥事
芸術・文化活動北海道銀行のメセナ活動(芸術・文化支援活動)には以下のものがある。 芸術活動本店営業室後方壁面上部にあったレリーフ『大地』は、当初、栗谷川健一、北岡文雄、難波田龍起、蓑原正ら北海道ゆかりの作家にアイデアを募り下絵を描いてもらったが、最終的には、当時すでに著名な彫刻家として活躍していた北海道ゆかりの本郷新、山内壮夫、佐藤忠良に制作を依願し生まれた作品である[82]。本店新築を機に設置され、幅41メートル、高さ3.3メートルにおよぶ[83]。営業室は2階天井までの吹き抜けで、3方の壁面がガラス張りであるため残る1面をビルの強度の必要から強固な壁とした[82]。『大地』は無機質になりがちなこの壁面を飾るために制作されている[82]。2024年4月19日の本店最終営業日後、札幌市内にある道銀の施設でレリーフを分割して保管となった[84]。
文化活動
広報活動・イメージ戦略1991年度以降、全国銀行協会連合会の広告規制緩和などを背景として、道銀は新たなイメージ戦略を盛り込んだ広報活動を展開した。上述文化財団によるミュージカル『キャッツ』札幌公演招聘など、文化事業支援に対するイメージを継続して訴求していくことを目的に、同年8月から旭川市出身で当時、劇団四季に所属した野村玲子をイメージガールに起用し、1年間にわたって広告を展開した[90]。劇団四季は『キャッツ』に続き野村を主役に起用したミュージカル『李香蘭』を道内主要都市で公演するが、道銀はこの公演に協賛した[90]。 著作権者の事情から1989年7月で取り扱いを中止したフィリックスは、その後再契約が可能となったことから、1993年4月からコメットに代わる新キャラクターFelix the catとして復活し、総合口座通帳をはじめ広告物もすべてFelix the catをあしらったデザインに生まれ変わっている[90]。 テレビCMは、全銀協が1991年1月からスポットCMを、翌年4月からは番組の提供を解禁し、道内行をはじめ多くの銀行が採用していたが、道銀は『キャッツ』の長期公演などイベントによる企業イメージおよび好感度アップを優先し、実施を見合わせていた[90]。しかし、1998年10月の取引優遇サービス「ステップDo」の取扱い開始に当たり、初のテレビCM実施に踏み切り[90]、その後、タカアンドトシ、太田在、ますだおかだがカードローン「ラピッド」のCMに出演した。 脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク |
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