南海電気鉄道のダイヤ改正
南海電気鉄道のダイヤ改正(なんかいでんきてつどうのダイヤかいせい)では、南海電気鉄道(南海)の鉄道線において実施された歴代のダイヤ改正について南海線・空港線系統と高野線・泉北線系統(泉北高速鉄道時代も含む)と分けて述べる。1971年に廃止された和歌山軌道線と1980年12月1日に阪堺電気軌道に分離された大阪軌道線、2006年4月1日に和歌山電鐵へ譲渡された貴志川線関連のダイヤ改正については省略する。 ダイヤ改正の名称にはダイヤ改正のほか、ダイヤ改定(1994年南海時刻表)、ダイヤ変更(2007年 - 2014年に行われたもののニュースリリース)、ダイヤ修正(2023年以降に行われたもののニュースリリース)などがあり、一定していない。 南海線・空港線系統のダイヤ改正の変遷1920年代1922年12月5日1923年10月10日
1924年7月26日『車両発達史シリーズ 5 南海電気鉄道 上巻』では大正7年(1918年)の改正と記載されているが[2]、『関西の鉄道 No.41』で誤植であると述べられている[3]。
1926年12月3日天下茶屋 - 粉浜間の複々線化に伴う改正[4]。
1930年代1930年6月21日
この後の1931年8月20日に天王寺支線の複線化が[4]、同年12月19日に粉浜 - 住吉公園間の複々線化が行われている[4]。 1933年2月16日
1933年6月15日
1934年11月17日
1935年3月29日この改正でのダイヤは『関西の鉄道 No.41』に掲載されている[3]。 1936年10月30日
1937年12月1日1938年10月1日同年9月10日の難波 - 天下茶屋間の高架複々線化完成に伴う改正[4]。 1940年代1940年8月8日1941年6月10日
この後の1942年10月11日に12時間制を24時間制に改めている[11]。 1944年6月1日1944年10月1日1946年7月1日
1948年4月21日
1948年ごろ
1949年4月25日この後の1949年6月20日に天王寺支線の曳舟駅、大門通駅を廃止している[12]。 1950年代1950年7月15日1951年4月6日1951年5月1日
1952年4月1日
1953年9月15日
1954年10月1日
1955年4月21日
この後の1955年8月23日に羽倉崎車庫の使用を開始している[12]。 1956年5月6日1957年7月1日
この後の1957年9月3日に特急及び急行の一部5両編成運転を開始している[12]。 1959年7月15日
1960年代1960年1月20日1960年12月25日
1961年2月1日
1961年3月1日
1962年3月1日
1964年12月25日
1965年6月1日
1966年12月1日
1967年7月20日
1968年10月1日
1970年代1970年11月23日
1971年3月6日
1972年3月15日1972年10月1日1973年10月1日
1974年10月27日
1977年2月28日
1978年10月2日
1980年代1980年6月15日
1980年10月1日1982年1月31日
1983年7月3日
1984年2月1日1984年11月18日1985年3月14日
1985年11月1日
1987年3月27日1988年10月2日1989年11月12日
1990年代1992年7月12日
1993年4月1日
1993年4月18日
1994年6月15日同日に、南海本線の枝線ではあるが、本線扱いとなる空港線が開業したことから、以後の南海本線関連のダイヤ改正の記述は空港線関連を含めて記述する。 1994年9月4日
1994年12月18日
1994年から1995年にかけての支線の時刻変更(詳細時期不明)『1994南海時刻表』(南海線は1994年12月18日改定)と『1995南海時刻表』(南海線は1995年8月23日改定)を比較すると、高師浜線、和歌山港線において時刻変更が行われている。 1996年10月26日
1998年5月9日
2000年代2001年3月24日
2002年5月26日
2003年2月22日
2005年11月27日
2007年8月11日これ以降、2014年10月18日変更までは「ダイヤ改正」ではなく「ダイヤ変更」として発表している。
2009年10月4日
2010年代2012年4月1日
和歌山港線の増発2012年4月27日時点で、平日の和歌山港線の上り列車は9本(うち急行4本)となっており[45]、2012年4月1日ダイヤ変更時点と比べ急行2本が増発されている。このダイヤが2012年8月31日時点まで使用されている[46]。その後2012年9月28日時点で、増発された急行2本が普通に変更されており[47]、このダイヤが2013年2月26日時点まで使用されている[48]。なおいずれも平日ダイヤの下りに変更はなく、土休日ダイヤは上下とも不明である。 2013年3月20日和歌山大学前駅の近辺にイオンモール和歌山が開業したことに伴い、2014年3月18日より土休日昼間時間帯のみさき公園駅折り返しの区間急行を和歌山市駅まで延長した。当初は5月6日までの予定であったが、乗降人員の増加を受けて次回ダイヤ変更直前の10月12日まで継続された[51]。 2014年10月18日
2016年5月14日2017年1月28日
2017年の台風の影響による特別ダイヤ2017年10月22日に台風21号の影響で、本線では樽井駅 - 尾崎駅間の男里川橋梁の線路が陥没したことから、翌10月23日より10月31日まで難波駅 - 樽井駅間と尾崎駅 - 和歌山市駅間の折り返し運転となった。次いで樽井駅 - 尾崎駅間が単線で復旧した11月1日から11月22日までの間も特別ダイヤでの運行となった。 2018年の台風の影響による特別ダイヤ2018年9月4日から台風21号の影響で、空港線が9月17日まで運休となった。火災が発生した尾崎駅は9月10日まで営業休止、待避線(1・4番線)が翌2019年4月5日まで使用不能となった。これらの影響で、特別ダイヤでの運行となった。 2019年4月6日
2020年代コロナ禍の影響新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年4月24日より平日昼間と土・休日昼間以降のラピートを運休とした[56]。また、2021年4月29日より難波0:25発の普通住ノ江行きを運休とした[57]。 2021年5月22日
2021年10月16日(高師浜線代行バス)
ラピートの運転再開2021年10月30日より土・休日[60]、2022年5月2日より平日の運転を再開した[61]。 2023年10月21日
2024年4月6日
2024年12月21日
高野線・泉北線系統のダイヤ改正の変遷1971年から2024年までは、当時別事業者であった泉北高速鉄道のダイヤ改正についても記述する。 1920年代以前汐見橋 - 橋本間の開業(1898年 - 1915年)1898年1月30日に最初の区間である大小路 - 狭山間が開業し、同年4月2日に狭山 - 長野間、1900年9月3日に道頓堀 - 大小路間、1914年10月21日に長野 - 三日市町間、1915年3月11日に三日市町 - 橋本間、同年9月1日に橋本 - 紀ノ川口間が開業している[65]。また1912年10月10日に全線の電化を行い、その後に開業した区間は当初より電化されている[65]。 1923年12月1日
1924年1924年6月20日に橋本 - 紀ノ川口間に妻信号所が新設され、同年11月1日に妻信号所 - 学文路間が、同年12月25日に学文路 - 九度山間が開業している[65]。また同年3月18日に住吉東 - 我孫子前間が複線化され、これを皮切りに複線化が進む[65]。 1925年3月15日
1925年7月30日
この後の1926年2月に橋本電車庫が新設されている[5]。 1926年12月3日
1928年6月18日1928年8月
1929年2月21日
1929年11月
この後の1930年4月12日に汐見橋 - 狭山間の複線化が完了する[65]。 1930年代1930年6月29日
1932年4月28日
1937年4月19日
1938年2月11日
1940年代1946年5月1946年7月1日
1948年4月21日
1949年
1950年代1951年7月7日1952年4月1日
1955年7月5日
1957年7月1日
1958年11月17日または8月1日1959年12月20日
1960年代1961年7月5日1963年10月1日
1964年5月20日または25日『南海電気鉄道百年史』の巻末年表では20日、『車両発達史シリーズ 5 南海電気鉄道 上巻』では25日と記載されている。なお、同年同月25日に白鷺駅が開業している[79]。 1966年3月1日1966年9月1日1966年12月1日
1967年11月1日1968年11月1日
1969年11月1日1970年代1970年11月23日
1971年4月1日
1971年11月10日
1972年12月10日1973年12月7日
1974年3月24日
1974年10月13日1975年11月1日
1977年8月20日
1978年1月23日
1979年4月23日1979年6月3日
1980年代1980年11月23日
1981年11月22日
1983年6月26日
1984年3月11日
1985年6月16日
1987年3月29日
1989年9月3日この改正より、大阪府都市開発株式会社の車両の運用区間を難波 - 光明池間に限定している[103]。
1990年代1990年7月1日この改正より、泉北高速線内折り返しの各停はすべて大阪府都市開発株式会社の乗務員による運転となる[104]。
1990年11月14日1992年4月5日この改正より、泉北高速線の列車は区間急行を除きすべて大阪府都市開発株式会社の乗務員による運転となる[108]。 1992年11月10日
1994年から1995年にかけての汐見橋線の時刻変更(詳細時期不明)『1994南海時刻表』(高野線は1992年11月10日改定)と『1995南海時刻表』(高野線は1995年9月1日改定)を比較すると、汐見橋駅 - 岸里玉出駅間において時刻変更が行われている。 1995年3月5日同年4月1日の光明池 - 和泉中央間延伸に対応したダイヤ改正[109]。
1995年9月1日
1996年11月24日
1997年4月1日
1998年7月1日
2000年代2000年12月23日
2003年5月31日
2005年10月16日
2007年8月25日これ以降、2013年10月26日変更までは「ダイヤ改正」ではなく「ダイヤ変更」として発表している。
2008年11月1日
2009年7月3日「天空」の定期運行を開始した[123]。本数は1日2往復。3 - 11月は水曜日・木曜日を除き運行(水曜日・木曜日が休日の場合は運行)、12-2月は土・休日のみ運行する。 2010年代2012年11月23日
2013年10月26日
2015年12月5日
2017年8月26日
2017年の台風の影響による特別ダイヤ台風21号の影響により、高野線では高野下駅 - 極楽橋駅間が運転を見合わせたことから、特別ダイヤでの運行となった[129]。 2018年3月31日
2020年代コロナ禍の影響新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年4月24日から同年7月19日まで「天空」を運休とした[56][130]。また、2021年4月29日より難波0:25発の各停堺東行きを運休とした[57]。 2021年5月22日
特急車両事故とその復旧による特急の運行形態変更2022年5月27日未明に小原田車庫内にて入換中の30000系30001編成が脱線事故を起こしたため[131]、2022年11月2日まで一部の「りんかん」[132]、2023年4月28日まで一部の「こうや」を運休とした[133][134][135]。 2024年1月20日
2024年12月21日
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目 |
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