堀川まゆみ
堀川 まゆみ(ほりかわ まゆみ、1958年5月2日[1] - )は沖縄県宜野湾市出身の作曲家、ラジオパーソナリティ及び元モデル、元女優、元歌手。 スペイン系フィリピン人の父と日本人の母との間に生まれた。身長163cm(1978年12月)[1]。シンガーソングライターREMEDIOSこと麗美は実妹にあたる。 略歴父親もギタリストで[1]、まゆみも5歳からピアノを習った[2]。地元沖縄の米軍向けバーで、父と一緒にディキシーランド・ジャズピアノを弾いているところをスカウトされ芸能界入り[1]。ピアニスト志望で上京したが、1978年に4代目クラリオンガールに選出。同年資生堂のモデルに抜擢され人気を集め、自身の本意とは裏腹にモデルとして売れる結果となった[1][2]。同年11月、シングル「ダディー/ラスト・フレイズ」でCBS・ソニーから歌手デビュー。女優としては1980年にテレビドラマ『大激闘マッドポリス'80』のレギュラー刑事役でデビューし、以降は『プロハンター』(日本テレビ)『ザ・ハングマン』(朝日放送)など、主にサスペンスやアクション物のドラマなどで活動した。 芸能活動休止〜作曲家転身1982年、映画監督・武智鉄二[3]の映画『華魁』の主演が決まり記者会見にも出席したが、撮影開始直前に降板。後日、本人が明かしたところによると、「ヌードと本番シーンがあるけど大丈夫か?」と事務所に訊かれた際、「本番」の意味を知らずに引き受け、撮影直前の具体的な打合せの時に初めてその意味を履き違えていたことに気がつき大慌てで降板(後に映画は親王塚貴子主演で公開)。この件により多方面に迷惑を掛けたこともあり芸能活動が困難となり、そのまま女優業を休止する[4]。映画の前のオーディションではヌードにもなったと、武智は証言した。映画とタイアップで企画制作されたヌード写真集は、事前に撮影を済ませていたため、映画降板とは関係なく出版された。DIATONE ポップス ベスト10(FM東京)ではラジオパーソナリティとして出演した。 1985年、名前をMAYUMIと改め、主に作曲家として音楽活動を再開。洗練されたシティ・ポップ感覚の作風で多数のヒット曲を手がける。 ディスコグラフィシングル
アルバム
サウンドトラック作曲
他多数 作詞
出演テレビドラマ
ラジオ
CM写真集
関連項目脚注
外部リンク |
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