大島 (宮城県気仙沼市)
![]() 大島(おおしま)は、日本の東北地方の三陸海岸に位置する、面積8.50平方キロメートルの島。行政上は宮城県気仙沼市に属する有人島。通常「大島」と呼ばれるが、全国各地にある他の「大島」と区別する場合「気仙沼大島(けせんぬま おおしま)」と呼ばれる[2]。2024年時点で約1000世帯・約2100人[3]が暮らし、面積・人口共に宮城県および東北地方最大の島である。 概要気仙沼市街地の対岸正面に位置する。三陸海岸に特徴的なリアス式海岸の一つ、気仙沼湾の入口にある。本土とは大島瀬戸によって隔てられ、最も狭い場所で230メートルしか離れていない。気仙沼湾の入口に大島があることで湾内は常に穏やかであり、気仙沼漁港は天然の良港となっているため、「気仙沼の防波堤」とも呼ばれている。ただし、2011年(平成23年)3月中旬に起きた東日本大震災の際は津波の規模が大きく、島自体と気仙沼市街も甚大な被害を受けた[4]。 島の最高点は島の北部、本土対岸にある亀山(標高235m)である。亀山の頂上には希少な「緑の桜」(御衣黄)が自生し、鳴き砂海岸である十八鳴浜(くぐなりはま)など、自然が豊かな島である。作家の水上不二によって「大島よ永遠にみどりの真珠であれ」とたたえられた。 島の周囲には大前見島、小前見島、黒崎島といった無人島や岩礁がいくつかある。 東日本大震災
2011年3月11日の東日本大震災では、海沿いの低地が浸水したほか、田中浜から浦の浜にかけて津波が横断し、島は一時南北に分断された。玄関口であった浦の浜港が破壊された上、津波で船舶が流されたため大島は孤立したが、アメリカ海軍航空隊による空輸と[注釈 1]揚陸艦エセックスから揚陸艇で上陸したアメリカ海兵隊第31海兵隊遠征隊により支援活動が行われた[5]。 また、浦の浜と亀山の山上を結んでいたリフトも被災し、その後撤去された。
地域
北部標高235mの亀山を中心とした地域で、海沿いに集落が点在する。北側の唐桑半島との間の海域は大島瀬戸と呼ばれ、牡蠣などの養殖が営まれている。 南西部の浦の浜はかつて、海の玄関口として定期船が発着していたが、気仙沼大島大橋の開通後は陸の玄関口となり、観光拠点として大島ウェルカム・ターミナルが設けられている。 南東部の田中浜から浦の浜にかけて、島の東西の幅が最も狭く、標高も低いため東日本大震災の際には津波が横断して一時島が分断された。 南部島の中央を南北に貫く県道に沿って、島の中心となる町が形成されている。 太平洋に面した東側には小田の浜海水浴場がある。南端の龍舞崎には、対岸の岩井崎とともに灯台が設けられ、気仙沼湾の出入口を形成している。 交通道路島内を網羅し、気仙沼大島大橋を経由して気仙沼市東八幡前に至る宮城県道218号大島浪板線が通っている。 気仙沼大島大橋(愛称:鶴亀大橋)![]() 東日本大震災で島が一時孤立した経験から、気仙沼市鹿折と大島の間の大島瀬戸で「気仙沼大島大橋」(別名:鶴亀大橋)の架橋工事が進められ[6]、アクセス路となる対岸の宮城県道218号大島浪板線拡幅と合わせて、2019年(平成31年)4月7日に開通した[7][8]。県道大島浪板線自体も震災で壊滅的被害を受け、遅れが懸念されていたが、アプローチ道路を大震災の津波の高さよりも高いものにして、整備し直すこととなり、2012年(平成24年)1月27日に事業着手式が行われている[9]。架橋はあらかじめ組み上げた橋梁本体をクレーン船で運んで架ける方式が選択され[10]、フェリー運航の合間を縫って行う難しい工事になったが、日本最大級の巨大クレーン船「富士」(深田サルベージ建設)によって無事完工された[10]。NHKの人気ドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』では「file:322 巨大クレーン船 ~男たちは、“希望”をかける~」と銘打って、工事に携わった技術者達にフォーカスを当てた内容が開通の月(2017年4月24日)に全国放送された[10]。なお、クレーン船「富士」は大震災の時にも気仙沼港に駆けつけて復旧作業に従事した[10]。 現在の交通機関高速バス2021年より、ミヤコーバスの仙台 - 気仙沼線の一部の便が夏季・秋季限定で大島に乗り入れ、浦の浜(大島ウェルカム・ターミナル)を発着している。詳細は当該路線記事を参照のこと。 路線バスミヤコーバスにより、路線バスが運行されている。
1953年(昭和28年)に、仙北鉄道が夏季のみの季節運行として開業した。1962年(昭和37年)に社名変更で宮城バス、1970年(昭和45年)に企業統合で宮城交通、1998年(平成10年)に地域分社化で宮交気仙沼バスとなり、2007年(平成19年)に企業再編でミヤコーバスとなる。浦の浜に気仙沼営業所大島車庫がある。 開業当初は浦の浜 - 浅根の運行だったが、後に島内を一周する路線を形成していた。2005年に路線存廃の動きがあり、気仙沼市が補助金を交付して路線が存続することとなったが、亀山入口 - 外浜を乗合タクシーに移管(震災後に路線廃止)、外浜 - 新王平、竜舞崎入口 - 竜舞崎を廃止している。 気仙沼大島大橋の開通に伴い、2019年4月8日より大島線が気仙沼市内まで延伸した。 タクシー
過去に運行されていた交通機関定期船→「大島汽船」を参照
大島汽船により、気仙沼観光船桟橋(エースポート) - 浦の浜港間に旅客船とフェリーが運航されていたが、気仙沼大島大橋の開通に伴い、2019年4月7日をもって運行を終了・廃止された。 臨時船1970年以降、12人乗り「ひまわり」が大島汽船が運航しない夜間の急患などを運んできた。東日本大震災では、船を外海に移動させることで津波により陸地に叩きつけられることを防ぐ沖出しで損壊を免れ、震災2日後から約8カ月間、島民らを無償で運んだ。架橋に伴い運航を終了したが、その後保存会が結成され、島内で船体が保存されている[11]。 名所・観光島の多くの区域が三陸復興国立公園に指定されている。 ![]() ![]()
大島が舞台となった作品特産物
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia