大誉地駅
![]() 大誉地駅(およちえき)は、北海道足寄郡足寄町大誉地本町20-11[2]にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅である。国鉄・JR北海道池北線時代の電報略号はオヨ。事務管理コードは▲110510[3]。 歴史1910年(明治43年)の池田-淕別間開業まもなく周辺の山から採石した石材搬出がこの地で盛んになり、本線上に貨車を停車して積込み作業を行っていたが、列車遅延の原因となっていたために当駅が開設された。1915年(大正4年)からは王子製紙により淕別の斗満川上流からの流送木材陸揚げ網羽が最寄りの利別川に設けられ、当駅土場まで馬車軌道が敷設されて木材の搬出が盛んな時期もあったが、1919年(大正8年)の洪水で被害を被ったために淕別駅土場へ切り替えられた。 1954年(昭和29年)12月に駅舎が改築され、この駅舎が廃止に至るまで使用された。この時期が駅の利用の最盛期で、年間約12万6000人が利用していた。以降は地域の人口減少に伴い利用客も減少していった。2006年(平成18年)に廃止となった後は、他の目的での利用を模索して駅舎が残されていたが、具体化できなかったため約158万円をかけて2015年(平成27年)1月にも解体することになった[4]。 年表
駅名の由来所在地名より。アイヌ語の「オイオッイ(o-i-ot-i)」(そこ〔=川尻〕に・それが・多くいる・もの〔=川尻〕)が転訛した「オヨチ(o-i-ochi)」に由来する[12][13]。 ここで言う「イ(i)」(それ)とは恐ろしいものや危険なものを差していう忌み言葉であり、クマやヘビ、ヒシの実を指すが、アイヌ語地名研究家の山田秀三は「この場合はot(ごちゃごちゃいる)という動詞から見て熊か蛇らしい」と解釈している[12]。 駅構造単式ホーム1面1線を有する地上駅。もとは島式ホーム1面2線を有する構造であったが1線が撤去され、この構造で廃駅を迎えた。 駅跡廃止後、線路や電線は早期に撤去された。駅舎は前述のとおりしばらく残存していたが、2015年8月時点で既に解体されており(具体的な解体年月日は不明)、周辺の縁石などが痕跡として残るのみとなっている。
駅周辺国道から線路跡を挟んだ反対側に大誉地の集落がある。駅跡地も集落側に位置する。 隣の駅脚注
参考文献
関連項目 |
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