北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線
ふるさと銀河線(ふるさとぎんがせん)は、北海道中川郡池田町(十勝支庁)の池田駅から北見市(網走支庁)の北見駅に至る北海道ちほく高原鉄道が運営していた鉄道路線[新聞 1]。旧国鉄特定地方交通線の池北線(ちほくせん)を引き継いだ路線で[新聞 1]、2006年4月21日に廃止された[新聞 2]。 営業当時は日本の第三セクター鉄道路線としては最長の営業距離を持つ路線であり、廃止後も2019年3月23日に三陸鉄道がリアス線 (163.0km) を開業するまでは史上最長であった。 路線データ
1966年の十勝支庁地図。網走本線として掲載されている。
歴史→第三セクター転換後については、当路線を経営した会社「北海道ちほく高原鉄道」も参照
もともとは、道央と網走を結ぶ幹線鉄道として網走線(あばしりせん)の名称で1910年(明治43年)9月22日に池田側から開業したもので[1]、1911年(明治44年)9月25日には野付牛(現在の北見)まで延長[1]、1912年(大正元年)10月5日にはさらに網走へと延長され[2]、同年11月18日には網走本線(あばしりほんせん)に改称された[1]。しかし、1932年(昭和7年)10月1日に石北線が野付牛に達すると距離の短い石北線がメインルートとなり[3][注釈 1]、1961年(昭和36年)4月1日には線路名称の整理が行われ、石北線が名実ともに本線(石北本線)となり[3]、池田 - 北見間が池北線となった[1]。 沿線の豊富な森林資源の輸送ルートとして活用され、冬季には流氷によって使用できなくなるオホーツク港を代替する輸送手段として利用された[新聞 3]。しかし自動車の普及に伴い利用者が減少し[新聞 3]、1980年(昭和55年)12月27日の国鉄再建法施行により廃止対象となった。日本有数の人口希薄地帯である道東・道北の国鉄特定地方交通線で営業キロが100 km 以上あった池北線・標津線・天北線・名寄本線の4線は「長大4線」と呼ばれ、特別な配慮を地元自治体が求めた。そこで、1984年(昭和59年)6月22日の第2次特定地方交通線承認では、バス転換しなければならないのかを調査するため、池北線など長大4線は保留された[4][5][6]。しかし、1985年(昭和60年)8月2日、「乗客数減少により赤字が増大することが予想され、バス転換しなければならない」として追加承認された[4][5][6]。 1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989年(平成元年)6月4日に北海道ちほく高原鉄道に転換され、路線名もふるさと銀河線に改称された[1][7][8][9][10][11][新聞 1]。転換には、国鉄時代の池北線の輸送密度は長大4線の中では一番高かったことや、ふるさと銀河線開業時は第二次ベビーブーム(団塊ジュニア)世代がちょうど高校生くらいの年齢で通学生が今よりもはるかに多く、またバブル期で金利が高く経営安定基金の運用益で赤字補填の目途が立ったことなど、いくつかの条件が第三セクター化に大きな影響を与えた。一方、この路線が存続に至ったのは政治的な配慮のうえの設立という見解もある[注釈 2]。 しかし、少子化時代を迎え主な旅客である高校生などの通学生が大幅に減少したことや、沿線が建設業に大きく依存した産業構造で、付加価値の高い加工・製造業などの地場産業育成が進んでいない[新聞 4]ことから、長引く不況や公共事業削減により沿線人口の流出・過疎化が進行し、1990年(平成2年)度には年間約100万人あった旅客も2003年(平成15年)度には約50万人まで半減した。さらにゼロ金利政策による低金利の状態が続き、経営安定基金の運用益による赤字補填が困難になったことも経営状態の悪化に追い討ちをかけた。北海道ちほく高原鉄道側は当初、沿線自治体に対して鉄路存続のための資金の協力を要請したが、銀河線以外の公共交通機関が全くないため廃止に猛反対していた陸別町以外の沿線自治体は資金の協力を拒否[新聞 5]。そのため、2005年(平成17年)3月27日の取締役会で陸別町長以外の賛成により廃止することが決定された[12][報道 1][新聞 6]。そして同年4月21日に北海道運輸局長に廃止届が提出された[報道 2]。2006年(平成18年)4月20日限りで廃止された[13][新聞 2]。これに伴い、北海道の旧国鉄特定地方交通線はすべて消滅した。銀河線廃止後、帯広 - 陸別間(十勝バス)と陸別 - 北見間(北海道北見バス)で代替となるバス路線が運行されている[新聞 7][新聞 3]。しかし、そのバス路線も利用者が低迷し、バス事業者や通学者などへの助成[新聞 8]が沿線自治体にとって大きな負担となっている[新聞 3]。 年表
運行形態2006年3月時点[42]で、全線直通列車を含め1日あたり池田駅 - 陸別駅間が7往復と足寄駅折り返し1往復、置戸駅 - 北見駅間は下り12本、上り11本であった。池田駅 - 北見駅間の直通は5往復(上り1本は置戸駅で乗り換え)あり、うち1往復は帯広駅 - 北見駅間の快速「銀河」で、所要時間は約3時間10分ほどであった。普通列車でも南本別駅や薫別駅などの一部の駅を通過する列車があった。陸別駅 - 置戸駅間は十勝・網走支庁の境界の山間部で本数は少なく、1日あたり6往復のみであった。 一部の列車はJR根室本線の帯広駅まで乗り入れていた。朝5時台の池田発足寄行きと折り返し6時台の足寄発新得行きはJRの車両で運行されていた。また、JRのイベント列車が線内を通過することもあった。 2000年3月31日までは、北見発の最終が22時、池田発の最終が21時台後半であったが、繰上げになった。 なお、池田駅・帯広駅および北見駅での改札時は降車時に車内の運賃箱に乗車券もしくは現金を投入し、運転士から精算済証明書を受け取った後、改札で掲示して通過する方法で利用していた。乗車時はJR利用時と同様に乗車券を購入し改札で改札を受けて車両に乗車していた。
使用車両北海道ちほく高原鉄道転換後![]() 車両10両のうち3両はミャンマーへ、6両は保存用として陸別町へ売却された。残り1両(CR70形-6号車)は鉄道愛好家に売却され、枝幸町で列車運転体験施設を造る構想だったが、輸送費用などの問題から頓挫。2007年9月末に解体される予定のところ北見市内の社会福祉法人北見有愛会理事長中村透の手により引き取られ、北見市新生町の事務所駐車場に展示用として保管(車体のみで足回り無し)されている。 他社乗り入れ
駅一覧
廃止施設
輸送・収支実績
廃止後の状況旧陸別駅周辺は、「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」として約1kmにわたって整備されている。旧川上駅までの9.8kmを整備する予定だった[43]が、維持費の捻出が難しいため当面の間は予定より短距離にとどめられた。ただし、今後延伸する可能性は残しており川上駅までの区間で保線車両を用いた試験運行を実施している。廃止からちょうど2年を迎えた2008年(平成20年)4月20日より営業が開始され、ふるさと銀河線で使用されていた気動車の乗車体験や運転体験をすることができる。2015年からは、陸別から隣駅の分線までの約6kmを体験することができる。 2017年の営業期間は、4月22日から10月29日(火曜日・水曜日は定休日)で、営業日によって来場者の体験できるメニューが異なり、体験メニューによっては予約が必要な場合がある。 代替バスは全線直通は設定されず、陸別を境に帯広 - 池田 - 足寄 - 陸別間が十勝バスに、陸別・置戸・訓子府 - 北見間が北海道北見バスに転換された。十勝バスが足寄 - 陸別間を新設、北海道北見バスが陸別 - 置戸間を新設するとともに、既存路線を増発して対応している。両社が期間限定運行していた特急バス「北見帯広線」(池田町は池田駅を経由せず利別に停車)は代替バス運行開始に伴い廃止されている[44]。 脚注注釈出典
報道発表資料
新聞記事
参考文献資料
書籍
雑誌
関連項目
外部リンク
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