宝塚市立宝塚自然の家
宝塚市立宝塚自然の家(たからづかしりつたからづかしぜんのいえ)は、兵庫県宝塚市にある野外活動施設。敷地内の松尾湿原とともに阪神北県民局管内に整備された北摂里山博物館(地域まるごとミュージアム)にも指定されている施設である[4]。宝塚市北部の西谷地区に位置する。 歴史1967年の「宝塚市立青少年野外活動センター」を前身とする[5]「宝塚市立少年自然の家」は、1973年に開所した[1]。「青少年が自然に親しみ、自然の中で集団生活を通して自然観や情操を豊かにし、社会性を育てることを目的とする教育施設」として設置された[6]。初年は約2万3千人が訪れた[7]。小・中学生の子ども達が転地学習や自然学校等、年中を通し大自然の中でキャンプができる人気施設であった[8]。 一方で、1978年に丹波少年自然の家(丹波市青垣町)[注釈 1]ができたことや施設の老朽化が進行したことにより2003年度の利用者数は8千人台にとどまった[7][10]。そこで、2004年(平成16年)5月2日から宿泊施設から日帰り施設へと運営形態を変更し[7]、2008年(平成20年)4月より現在の名称へ改称した[1]。同年度からは年間約4千万円をかけて運営を指定管理者の「ネイチャープランニング[11]」に外部委託した[7]。バーベキューや広場でのレクリエーションなどが人気となり、2014年度には開所当初の約2倍、約5万人が利用した[7][10]。一方で、施設は、田植えや芋掘りなどの農業体験のほか、星空観察会などのイベントも企画したが、これら社会教育関連の利用者は2014年度で全体の2.5%にとどまっていた[10]。市役所内で2年近く協議した末、「8年間で3億円もの指定管理料は教育のために支払われるべきだった」という結論となり[10]、市は本来の目的であった自然環境を学ぶプログラムが提供できていないとして、施設内容の見直しを決定した[7]。一方で、市議会からは「そこまで社会教育にこだわる必要があるのか」、「地元の人材と食材を活用し、民間の提案をいかすべきだ」といった反対意見も上がっている[10]。その後、2016年に休所となった[1]。 2018年4月から日曜祝日に限り、一部を一般に開放されている。アスレチックの再整備や木造管理棟の新築を経て、2022年4月より新たな指定管理者である「一般社団法人宝塚にしたに里山ラボ[注釈 2]」の運営により再オープンした[1]。2022年度の利用者数は1万251人であった[15]。 沿革
施設主要施設
その他
松尾湿原松尾湿原は、「宝塚自然の家」内にある面積約260m2の湧水湿原であり[19]、宝塚市の天然記念物に指定されている[20]。宝塚自然の家の開設された1970年頃は宝塚市北部の大原野一帯には大小の特色ある湿原が多数点在していた。その頃からマツ枯れ現象の蔓延と相まって里山が照葉樹林化し、圃場整備が進められ湿原は減少していった[21]。一方で、松尾湿原は宝塚市立野外活動施設の敷地内であったために消失を免れた[21]。 丸山湿原群と比べると松尾湿原は小規模であるが、同様に湧水湿原である[21]。宝塚市が用地買収をした1967年(昭和42年)当時はモウセンゴケが群生し、ハッチョウトンボが多数飛翔していた[21]。その後1978年に宝塚市から天然記念物に指定されたが、その頃にはハッチョウトンボ、カスミサンショウウオなどは確認されていない[21]。1998年、施設開設後30年の間に遷移が進み指定当時の特色が消失しつつある状況を理由に一時は天然記念物指定の解除も検討された[21]。しかし、専門研究者から指摘を受け、「解除はいつでもできることだ。学術的に価値の高い文化財としての復元を試みることが最優先されるべきだ。」という結論に至り、兵庫県立大学服部保教授(現・名誉教授)の指導助言を受けながら宝塚市自然保護協会らのボランティア団体によって保全活動が始まった[21]。 1998年頃から管理放棄が遷移の進行に関係していることが分かった[21]。2004年から宝塚エコネット(TEN)も加わり、現在では主役として活動し、湧水湿原保全の実践家集団に成長している[21]。このような生態系保全活動は一般市民の参加も呼びかけて行われ、松尾湿原ではハッチョウトンボのみならず絶滅が危惧されるサギソウ、カキラン、ムラサキミミカキグサ、カスミサンショウウオなどの湿原植物・動物の生育も確認されている[22]。 アクセス
脚注注釈出典
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia