宮城県南三陸高等学校
宮城県南三陸高等学校(みやぎけん みなみさんりくこうとうがっこう、Miyagi Prefecture Minamisanriku High School)は、宮城県南三陸町志津川字廻館にある県立高等学校。2023年度(令和5年度)より、それまでの校名宮城県志津川高等学校(みやぎけん しづがわこうとうがっこう)から改称された[2]。 設置学科通常1学年4クラスから編成されている。校訓は「真・和・敬」。当校の教育方針は校訓のもと、知性を磨いて真理を探求し、自他を敬愛できる寛容と協和の心を持った、誠実で愛情豊かな人材の育成をめざす。 1996年度より学科改編を行い、商業科を情報ビジネス科に改編し、普通科にも大規模な類型選択制を取り入れた。さらに2003年度から、南三陸町内の4つの中学校(志津川中学校、入谷中学校〈2009年度より志津川中学校に統合〉、戸倉中学校〈2014年度より志津川中学校に統合〉、歌津中学校)との間で、県内初の地域連携型中高一貫教育を開始した。 沿革
校章三光三波の数意は創立以来の校訓「真和敬」を指し、これを中央の円、すなわち旭に結びつけ、そのまろやかさ、平和、至誠をも併せ具現せんとの考えを表したもの。 教育課程情報ビジネス科情報処理および経営に関する知識と技術を習得し、産業や経済の変化に幅広く対応でき、ビジネスに関する情報を適切に処理する能力と態度を育てることを目標とする。専門的な資格の習得や民間企業への就職・専門学校への進学が期待されている。情報ビジネス科は通常1組が該当クラスになり、3年間クラス替えがない。 普通科1年次は全員同一科目を履修するが、英数は第1回目のテストの結果により1年次から応用クラスと通常クラスに分かれる。2年次より地域創造系・文理系の2類型に分かれる。地域創造系は、地域資源を活用した課題解決型学習を通して地域起業家人財の育成に努め、大学・専門学校への進学や公務員、民間就職など幅広い進路に対応している類型である。文理系は、主に大学進学希望者を対象とし、共通テストの受験にも対応したカリキュラムで、国公私立大学への進学に対応している類型である。 校舎現在使用されている廻館校舎は上空から見るとカタカナの「エ」の形をしている。左上部端が独立しており、この部分が「文理類」にあたる2年4組と3年4組の専用校舎(西校舎)である。現在の校舎は1970年に旧校舎である上の山校舎より移転、その後1978年に西校舎が増築され現在の形となった。昇降口近くに、チリよりチリ津波30周年記念の友好の証として寄贈され、かつて町内の松原公園にあったモアイ像が鎮座している。これは2011年に発生した東日本大震災における津波によって台座などが破損したものの、同公園内で頭部が見つかったため移設された。 1948年から1967年まで設置されていた夜間定時制の歌津分校校舎は、現在も歌津中学校の隣に現存しており、南三陸町民俗資料館として利用されている。
生徒の全国募集東日本大震災の影響で南三陸町の人口が大幅に減ったことを受け、当校の生徒数も2011年度の392名から2021年度は173名と大きく減少していた[4]。当校が統廃合の対象となる可能性を危惧した南三陸町長の佐藤仁が宮城県教育委員会に当校生徒の全国募集を提案した[4]結果、2023年度から当校において地域みらい留学制度を導入し、「南三陸kizuna留学生」の名称で生徒の全国募集を開始した[5]。佐藤は自ら入試の面接官を担当するほか、入学した留学生の身元引受人も務める[5]。 2023年度に入学した1期生は山形県・東京都・神奈川県・千葉県からの5名[6]、翌2024年度入学の2期生は10名が集まった[5]。学生寮は東日本大震災後に使われていた復興工事作業員の宿舎を転用している[4]。 尾形杯初代校長の名前にちなんで「尾形杯」と名付けられた、クラス同士が年間を通じて競うイベントがある。「合唱コンクール」「体育祭」「文化祭」「マラソン大会」の4つの行事において、優勝なら10点、2位なら5点というようにそれぞれ加点していき、最後の行事であるマラソン大会終了時に総合点を争う。優勝したクラスには青銅のトロフィーが授与される。 学校歌・応援歌旧制時代の校歌・応援歌、新制からの校歌・応援歌あわせて12曲ある。旧制時代に制定された多くの応援歌が現在も使用されている。 現在使われている校歌の3番目の歌詞の一節「さらば 三年(みとせ)の花紅葉」は、定時制分校であった歌津分校・入谷分校では、修業年限が4年制だったため、分校生により分校式典などで「さらば 四年(よとせ)の花紅葉」と改められて歌われていた。しかし定時制分校廃止に伴い、その歌詞は使用されなくなった。また、入谷分校には1951年に準校歌『入谷分校通学歌』が制定されたが、これも定時制廃止により歌われなくなった。 部活動運動部
文化部・愛好会等
交通出典:[1] 出身者脚注
関連項目外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia