山口県立図書館分類表山口県立図書館分類表[1](やまぐちけんりつとしょかんぶんるいひょう)とは、山口県立山口図書館が1909年(明治42年)に定めた図書分類法である[1]。山口図書館分類表とも[2]。 概要山口県立山口図書館の館長佐野友三郎が[1]、自館で使用していた八門分類表[1][3](東京図書館の分類表と東京帝国大学図書館の分類表を基にしたもの[3])を、10門に改め[1][3]、数字3桁を用いた分類記号を付与したもの[1][3]である(ただし『山口圖書館和漢書分類目録(明治42年12月末現在)』には4桁の分類記号もみられる)。1909年(明治42年)に制定されたもので、日本でこれ以前に考案された十進分類法として、「京都府立図書館分類表」(1899年から1906年ごろ)や、「京都帝国大学附属図書館分類表」(1902年か1903年)があるが、この分類表もかなり早い時期のものといえる。その後、1911年(明治44年)に石川県立図書館で、1916年(大正5年)に新潟県立図書館でそれぞれ十進分類法が制定されている。 山口県立山口図書館一館のために考案された図書分類法[4]だが、1919年(大正8年)の全国府県立図書館協議会において[1][5]、この分類表のうち第2分類(100区分)までを標準分類表とすることが決定[1][5]、日本初の標準分類表となった[1]。その後、台湾総督府立、岡山県立、埼玉県立、小倉市立、名古屋市立、呉市立、前橋市立など[4]の図書館では忠実に採用されたが、後述のような問題から、独自に改訂を行う館が続出し(和歌山県立、佐賀県立、千葉県立、静岡県立、茨城県立、鹿児島県立、尼崎市立、横浜市立、神戸市立、岡山市立、東京市立など[4])、実質的な標準分類表とはならなかった。山口県立山口図書館ではしばらく使われていたが、1952年(昭和27年)4月に日本十進分類法 (NDC) 新訂6版への移行を開始し[6]、1960年度(昭和35年度)末までにほぼ完了した[6]。 この分類表が普及しなかった理由には、それぞれの図書館が安易に独自の分類表を作成していたことや、あるいは各館独自に分類表を制定すべきという「標準分類表」に否定的な考えが当時支配的であったことなどもあるが、その区分・排列が不適当な箇所が多いこと[1][5]、分類が(特に100区分表では)簡略すぎること[1][4]、記号の共通性や助記表をもたないこと[1]、などいくつかの問題点も指摘されている。たとえば、歴史の下位区分は「アジア、アフリカ、アメリカ、オセアニア、ヨーロッパ」だが、地誌のそれは「アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニア」となっており、記号の共通性も考慮されていない。 第1次区分表(10区分表)出典:『山口圖書館和漢書分類目録(明治42年12月末現在)』、巻末「圖書分類綱目」。
第2次区分表(100区分表)出典:加藤宗厚著『図書分類法要説 改訂版』、168頁。ただし、誤植を1箇所(※印の箇所)訂正してある。
第3次区分表(1000区分表)出典:『山口圖書館和漢書分類目録(明治42年12月末現在)』、巻末「圖書分類綱目」。100年以上前の概念・制度に基づく分類法であり、台湾や樺太南部が日本領となっており、小学校・中学校・高校・大学などもそれぞれ当時の制度のもの(いわゆる旧制○○)である。また、分類法の概念とリンク先の記事の概念は、厳密に一致するものではない。
脚注
出典参考文献
外部リンク
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