山形県立上山明新館高等学校
山形県立上山明新館高等学校(やまがたけんりつ かみのやまめいしんかんこうとうがっこう、Yamagata Prefectural Kaminoyama-Meishinkan High School)は、山形県上山市仙石にある県立高等学校。 略称は「明新館」、「明新」(めいしん)。 概要「山形県立上山高等学校」と「山形県立上山農業高等学校」を前身とする。 蔵王連峰を仰ぐ環境に位置する。「知・徳・体の調和のとれた人間の育成」を目指しており、「飛び出せ明新館、花咲け明新館、レベルアップの明新館」をスローガンとしている。校地面積は98,126m2と県内有数の広さである[1]。
沿革
部活動
交通アクセス上山高等学校
山形県立上山高等学校(やまがたけんりつ かみのやまこうとうがっこう、Yamagata Prefectural Kaminoyama High School)はかつて山形県上山市にあった県立高等学校。現在は校舎の一部が取り壊され、上山市生涯学習センターとなっている。 略称は「上山高校」、「上高」(かみこう)。1905年(明治38年)創立の「上山町立女子実業補習学校」を前身とする[19]。
歴史上山町では小学校に「裁縫専修科」を設置し、義務教育卒業女子に対して事実上の補修教育を実施していた[23]。1904年(明治37年)3月に実業補習学校規程に基づき「補習科」と改名し、裁縫のほか国語・修身・算術・図画の4科目を課した[23]。さらに1905年(明治38年)3月に「上山町立上山女子実業補習学校」が創立した[23]。 1908年(明治41年)には上山町立実業補習学校を併合し「上山町立上山尋常高等小学校付設実業補習学校」と改称[23][24]。男子部と女子部が置かれ、女子部は通年であったが、男子部は主に農閑散期の11月から翌年3月までの授業であった。 青年学校令が公布され、1935年(昭和10年)4月に上山町立上山農商補修学校も廃校することとなった[25]。しかし明治初年からの上山の女子教育の伝統を何らかの形で継承しようと山形県側と交渉し、1935年(昭和10年)3月27日に「山形県上山実科女学校」の設置認可が下り、4月に上山尋常高等小学校に併設された[24][25]。 年表
上山農業高等学校
山形県立上山農業高等学校(やまがたけんりつ かみのやまのうぎょうこうとうがっこう、Yamagata Prefectural Kaminoyama Agricultural High School)はかつて山形県上山市にあった県立の農業高等学校。 沿革
著名な出身者
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク |
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