山田順子 (時代考証家)山田 順子(やまだ じゅんこ、1953年[注 1] - )は、日本の時代考証家[2][3][4][5]、放送作家[6]。 経歴広島県広島市東雲[注 2]にて2代続いた歯科医の1人娘として生まれ育つ[2][7]。15歳の時に林美一著作の『時代考証うらおもて』(毎日新聞社、全国書誌番号:73001989)に本屋で偶然出会って[7]時代考証家を志したといい[2][3]、「民間放送開始の翌日[注 3]に生まれて、NHKの大河ドラマが始まった年[注 4]に家にテレビがやって来た。時代劇を見て育ったせいか、それを作りたいと思ったのがきっかけ」であると述べている[3]。 専修大学文学部人文学科・史学コースを卒業[2][7]。専攻は日本史[2]。 CM制作会社に就職したのち[2][3]、博報堂で嘱託勤務[2]、CMディレクター、コピーライターとして勤務し、番組制作を学ぶ[2]。1982年に「株式会社スペースエムワイ」を設立、テレビ番組のリサーチと企画構成を事業とし[2]、放送作家・時代考証家となる[2]。 脚本家・森下佳子とは『JIN-仁-』を始め『天皇の料理番』・『義母と娘のブルース』(いずれもTBS)でも制作スタッフとして一緒に関わり、盟友だと語っている[7]。 趣味はガーデニング[2]。2011年より、戦国武将真田氏の故地として知られる長野県上田市真田町(旧小県郡真田町)において、耕作放棄地をソバ畑などとして再興する事業にも取り組み[2][8][9]、「歴史を生かした里づくり」を提唱する[2]。 テレビ・ラジオ番組クイズ・バラエティ
音楽番組
ドラマ
情報・教養番組書籍著書
監修・考証漫画
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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