岡崎二朗
岡崎 二朗(おかざき じろう、1943年12月26日[2] - )は、日本の俳優である。鹿児島出身。明治学院大学中退。父親は亜細亜大学教授の倉岡克行[3][4]。 来歴・人物亜細亜大学教授の父が官吏をしていた満洲国に生まれる[1]。東京桜町高等学校から亜細亜大学に進学し[1]、在学中、松竹にスカウトされ、1963年公開の映画『あらくれ荒野』で桑野みゆきの相手役に起用された[1]。その後、明治学院大学に入り直す[1]。たまたま新宿の場末で一人で飲んでいた際、深作欣二の目にとまり、1964年封切りの映画『狼と豚と人間』でデビュー[1]。これが切っ掛けで東映に入社[5]。1965年公開の映画『おゝい雲!』は、主役を予定していた北大路欣也が舞台出演のスケジュールの調整がつかず[1]、東映は鶴田浩二、高倉健に次ぐ、現代劇の主演スターが混迷状態にあり、思い切って岡崎を主役に抜擢した[1]。精悍な風貌と爽やかなキャラクターで主人公の弟分役などで人気を博す。岡崎は「東映時代は青春スターといっても、劣等生の不良少年役が多かったですから。このあたりがボクのイメージとして固まってきつつあるのかも知れません」などと話した[6]。1967年に東映から日活に移籍し[6]、役柄はチンピラヤクザがほとんだったが[6]、15本出た1969年夏に、日活が何でもかんでも東映のマネをする"マネマネ路線"に転換[6][7][8]、ヤクザとお色気の題名から内容まで徹底的に東映作品のマネをした映画製作を決定したことで[6][7][8][9][10]、岡崎にとっては東映の"不良性感度映画"で揉まれただけに追い風が吹き[6]、1969年『夜の最前線 女狩り』で初主演[6]。また『女番長 仁義破り』も準主役で[6]、『夜の最前線 女狩り』ではカストロひげを生やし、ふんどし一丁で女を口説く役[6]。また『女番長 仁義破り』では、フーテン嬢に凄まじいリンチを加えたり、ハレンチな役にも挑んだ[6]。岡崎は「ボクはスターの妙なプライドなんか意識しません。やりがいのあるものであれば、新宿をふんどし一丁で走り回る芝居だってやりますよ。今は第二のチャンスだと思います!」と述べた[6]。1967年に東映から日活に移籍後もその勢いは沈むことはなかった。しかし日活ロマンポルノの移行への難色から日活を去ることになり、テレビドラマに活動の中心を移してからはアクの強い悪役がメインとなる。 近年はVシネマの他、バラエティ番組にも出演。 梅宮辰夫のことを兄貴のように慕い[5]、「スターとはどういう人間か」を教え込まれた[11]。 息子の岡崎礼も一時期俳優として活動していた。 3度目の覚せい剤の事件で干されていた清水健太郎の芸能界復帰を手助けしたのも岡崎だった[12]。 出演映画
テレビドラマ
Vシネマ
バラエティ
CM・広告
企画
ディスコグラフィ
脚注
外部リンク |
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