嵯峨野観光鉄道SK100形客車
嵯峨野観光鉄道SK100形客車(さがのかんこうてつどうSK100がたきゃくしゃ)は、1991年(平成3年)にトキ25000形貨車から3両が改造された嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車用客車である[1]。本項では、SK100形と編成を組んで使用される、機関車を遠隔制御する運転台をもつSK200形、オープン構造のSK300形についても記述する。 概要1989年(平成元年)3月に西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線嵯峨駅 - 馬堀駅間が電化準備及び複線化のため新線に切り替えられ、1899年(明治32年)開業の旧線は廃線となった[8]。一方、JR西日本社内には経営基盤確立を目的とした線区別経営改善推進チームが1987年(昭和62年)11月に設立されており、山陰本線については旧線を活用した活性化が検討されていた[9]。また、地元を中心に旧線の運転再開の要望が強く、JR西日本の子会社として設立された嵯峨野観光鉄道によって1991年(平成3年)4月に日本初の観光専用鉄道嵯峨野観光線として復活した[10][11][8]。 運転再開にあたり、トキ25000形貨車のベッテンドルフ台車と台枠を流用し、車体を新製したトロッコ型客車4両が準備され、DE10形機関車を動力車として常時嵯峨駅方に連結する運転形態がとられた[12]。客車4両のうち2両は窓を設けない開放構造の中間車SK100-1、2[13]、1両は客室に窓を設けた中間車SK100-11[14]、1両は馬堀駅方先頭に連結され、機関車を遠隔制御する運転席をもち、客室に窓を設けたSK200-1となった[14]。車体塗装は平安ロマンをモチーフとし、窓下にアールデコ風のデザインが描かれた[13]。座席にはナラ材が用いられ、SK200-1の運転席直後以外はボックスシートとなった[4]。好調な利用実績を受け、1998年(平成10年)には側面に格子状の柵を設けるなど、より開放的な構造を採用したSK300-1が同じくトキ25000形からの改造で追加された[15]。SK300-1には「ザ・リッチ」の愛称がつけられた[16]。2000年(平成12年)にはSK100形、SK200形全車に対し、窓付きだった2両は開口部を拡大し、他の2両とともに上側に固定窓、下側を下降窓とする改造を施し、全車ほぼ同様の外観となっている[17][14]。
車体![]() 4両ともJR西日本トキ25000形の台枠、走行装置を流用し、車体は新製された[12]。SK100-1、2は開放構造の車体で側窓無し、SK100-11、SK-200-1は建築用のサッシを使用した窓をもつ密閉型の車体で、密閉型の2両は屋上にキハ35系気動車より発生した通風器を1両あたり3台備える[21][13][14]。SK300-1はより開放的な構造となり、屋根の2/3を強化ガラスとし、側面と座席部分の床面を格子状としている[15]。5両とも平安ロマンをモチーフとした塗装が採用され、車体全体は平安の王朝色である緋色、山吹色でまとめられ、窓下にアールデコ風の黒の模様が入れられた[22]。SK200-1のトロッコ亀岡駅寄りには、機関車を遠隔制御する平面ガラスで構成された展望室タイプの運転台が設けられた[14][12]。運転台には制御用機器に加え、速度計、圧力計、ATS-SW形機器が搭載され[4]、運転台中央上部には前照灯と後部標識灯が設置された[6][14]。側面片側一か所に速度検出装置付き戸閉め装置を備えた乗降用の扉が設けられた[4]。乗降用扉および戸閉機械は50系客車の発生品を使用し[21]、どの車両からでもドアの一斉操作を行うことができる[5]。 車内にはナラ材を圧縮、難燃加工を施した材料で作られた木目調の4人掛ボックスシートがSK100形では16組、SK200形では14組配置され、SK200形の運転台直後は2人掛ロングシートとなった[23][5][4]。SK300形も同様にナラ材のボックスシートを備えるが、扉付近に車椅子スペースを設置したため、16組のうち一組は2人掛となっている[16]。灯具類はレトロ感を出すため全車白熱灯とされた[5][4][15]。 走行装置![]() 台車はトロッコのイメージであるゴツゴツした乗り心地を残すため、あえて種車のベッテンドルフ台車TR209系(重ね板ばね、軸受固定支持)が流用され、連結器もあえて遊間の大きい並型連結器が使用されている[7]。制動装置は自動空気ブレーキである[7][15]。保守の容易化のため客車には電源が搭載されず、電力は機関車に搭載されたバッテリから供給される[5]。SK200形の運転台から遠隔制御するための引き通し線が床下に設置されている[4]。SK200形にはツリ合空気ダメ、供給空気ダメが設けられている[5]。 側窓改造2000年(平成12年)2月25日付で、SK100形、SK200形全車のリフレッシュ工事がJR西日本テクノスで施工された[24][25]。密閉構造だった2両は開口部を拡大するとともに上側固定、下側下降の窓を設置、開放構造だった2両にも同構造の窓を設置[17]、従来の外板の外にもう1枚外板を取り付け、その間に窓を落とし込む構造が採用され、全車ほぼ同様の外観となった[13][14]。開放構造だった2両の屋根上にも通風器が取り付けられた[14]。SK100-11の扉付近には車椅子スペースが設置されたため、定員が4名減少した[26]。
運用![]() (1991年4月、大阪駅) ![]() 嵯峨野観光線の全営業列車で使用される。客車のうち2両は窓がない開放構造だったため、雨天時はアクリル板を窓代わりに取り付けていた[13]。両端駅とも機回し線の設備がないため、常にトロッコ嵯峨寄りに機関車を連結した編成で運転され、トロッコ亀岡行きとして運転される際はSK200形に設けた運転席から機関車が遠隔操作される[11]。 1998年(平成10年)より開放的な構造を採用したSK300形「ザ・リッチ」を増備している[27]。 ![]() 2015年(平成27年)3月からの試験運行を経て、同年12月から冬季は3号車(SK100-11)、4号車(SK100-1)の座席を一部撤去し、ダルマストーブを設置したストーブ列車として運行している[28][29]。 脚注注釈出典
参考文献書籍
雑誌記事
Web資料
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