左京未知子
左京 未知子(さきょう みちこ、1937年1月7日 - )は、日本の女優、歌手である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15]。日活に入社し、1956年(昭和31年)7月に郷 絢子(ごう あやこ)の名で映画に出演[5][7][11]、翌8月に左京 路子(さきょう みちこ)に改称、これを公式には映画デビューとする[1][2][3][10]。新東宝に移籍、グラマー女優として活躍するが、同社倒産後の1961年(昭和36年)に表記を改称[1][3][5][6][7][8][9][10][11][12][13]、テレビ映画を中心に出演する[13]。1963年(昭和38年)には黎明期の独立系成人映画に出演し始め、1970年(昭和45年)には実演に転じ、1973年(昭和48年)には引退した[6][7][8][9][12][13][14]。本名は合満 綾子(ごうみつ あやこ)[2]。 人物・来歴日活・新東宝の時代![]() ![]() 1937年(昭和12年)1月7日、京都市左京区に生まれる[2]。 日活に入社し、郷 絢子の名で、1956年(昭和31年)7月12日に公開された鈴木清太郎(現在の鈴木清順)の監督作『悪魔の街』に「京子」役で出演したのが、もっとも早い時期の出演記録である[5][7][11]。翌月の同年8月28日に公開された小杉勇の監督・主演作『暁の逃亡』での二役出演をもって、左京 路子に改称、現役当時のプロフィールや『日本映画俳優全集・女優編』等では、これを公式の映画デビューとしていた[1][2][3][11]。満19歳であった。翌1957年(昭和32年)には1学年下にあたる筑波久子がデビューしており[16]、入れ替わるように新東宝に移籍した[1][3][5][6][7][8][9][13]。同社では、新東宝の初代社長であった佐生正三郎が設立した日米映画が、日本テレビ放送網と提携して製作した中篇映画『殺人と拳銃』や『野獣群』(監督浅野辰雄)、『強奪された拳銃』(監督木元健太)に重要な役で出演し、『脱衣室の殺人』(監督沢賢介)では主演した[6][7][8][9][13]。東宝系列の東京映画製作の映画にも借り出され、1959年(昭和34年)1月15日に公開された『グラマ島の誘惑』(監督川島雄三)に出演している[5][6][7][8][9]。空手二段の段位を持つといい、同年6月6日に公開された『暴力娘』(監督曲谷守平)では、主役の万里昌代の特技である柔道を相手に格闘対決を演じた[1][6][7][8][9]。テレビ映画にも出演を始めており、フジテレビジョンの『ミステリー午後十時』という一話完結シリーズのうち、1960年(昭和35年)1月10日に放映された第9回『美しき仮面』では、大空真弓とともに出演し、主演している[13]。同年末、新東宝の社長であった大蔵貢が退陣、1961年(昭和36年)1月21日に公開されたオムニバス『恋愛ズバリ講座』の第一話『吝嗇』(監督三輪彰)に出演したのを最後に左京 未知子と改称した[1][3][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。同年1月7日放映の『東芝土曜劇場』第93回『駄目なのよ御免あそばせ』では、すでに新表記でクレジットされている[13]。新東宝は同年8月31日に事実上倒産した[17]。 成人映画の時代倒産後の左京は、「左京未知子とトロピカル・リズム・エアーズ」を結成、東京・有楽町の日劇ミュージックホールや銀座のクラブに生出演する歌手としての実演活動や[1]、東映テレビプロダクションが製作する『特別機動捜査隊』、『JNR公安36号』といった連続テレビ映画に女優としてゲスト出演する等の活動を行っていた[13]。テレビ映画への出演は1962年(昭和37年)いっぱいで終わりにし、満26歳になる翌1963年(昭和38年)1月に公開された『不貞母娘』の主演に起用され、黎明期の成人映画の世界に踏み出した[1][9]。同作は黒澤明のプロデューサーであった本木荘二郎が高木丈夫の名で監督した作品であり[1][9]、いわゆる「ピンク映画第1号」と呼ばれる『肉体の市場』(監督小林悟、製作協立映画、配給大蔵映画)が公開された前年1962年2月27日から1年未満であり[18]、本木が手がけた最初の成人映画であり監督デビュー作である『肉体自由貿易』が公開された1962年11月からはわずか2か月後、本木にとっても3作目の監督作であった[19]。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子、香取環、新高恵子、松井康子、西朱実、朝日陽子、火鳥こずえ、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、路加奈子、有川二郎、里見孝二、川部修詩、佐伯秀男の名を挙げているが、左京の名は挙げられていない[20]。しかしながら左京は、同様に黎明期のおもな脚本家・監督として挙げた人物のうち、宮口圭監督の『挑まれた女』(1964年8月11日公開)、浅野辰雄監督の『濡れた牝馬』(1965年3月公開)、藤田潤一監督の『艶説四谷怪談』(1965年5月公開)、渡辺護監督の『あばずれ』(1965年6月公開)といった、彼らの監督デビュー作ないしは成人映画第一作にいずれも主演した女優である[6][7][8][9][14][21]。 1967年(昭和42年)12月19日に公開された『穴』(監督沢賢介)[12]を最後に、劇団を結成して全国巡業の実演活動を開始する[1]。1970年(昭和45年)には、内田高子、路加奈子につづいてローヤルレコード(代表・安田英治)と契約し、シングルおよびアルバムを発表した[2]。日活がロマンポルノを開始した1970年(昭和45年)11月、それに引き続いて同年12月1日に日活が製作・配給して公開された白川和子主演作『恋狂い』(監督加藤彰)に「劉夫人」役で登場している[1][3][5][6][7][8][9][11][14]。その後、日活の『薔薇のためいき』(監督西村昭五郎、1972年3月29日公開)、独立系の『スキャンダル夫人』(監督武智鉄二、1973年2月28日公開)に出演した以降は、劇場用映画、テレビ映画ともに出演歴が見当たらず、引退した[1][3][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14]。満36歳であった。以降の消息は知られておらず、存命であれば2014年(平成26年)には満77歳である。 再評価2009年(平成21年)3月14日 - 同年5月15日にラピュタ阿佐ヶ谷で行なわれた「60年代まぼろしの官能女優たち」の特集上映で、『禁じられた乳房』(監督小川欽也、4月4日 - 同10日)が16mmフィルム版上映用プリントで上映された[22]。2012年(平成24年)9月2日 - 同3日、神戸映画資料館で行われた「時代を作った活動屋たちと発掘フィルム」特集上映でも、同作が小川自身の所蔵する16mmフィルム版で上映されている[23]。『続悪徳医 女医篇』(監督福田晴一)は、米国で上映用プリントが発掘され、2008年(平成20年)7月29日にSynapse Films が『マダム・オー』(英語: Madame O)の題でDVD発売した[14]。 フィルモグラフィクレジットはすべて「出演」である[1][3][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14]。東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵・現存状況についても記す[5]。 左京路子特筆以外はすべて「左京路子」名義である。
左京未知子
ディスコグラフィ日本音楽著作権協会の作品データベース検索結果を参考にした一覧である[15]。 シングル
アルバム
ビブリオグラフィ
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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