広島・長崎オリンピック構想広島・長崎オリンピック構想(ひろしまながさきオリンピックこうそう)とは、2020年夏季オリンピックを広島県広島市と長崎県長崎市に招致し開催しようとした構想である[1][2][3]。 2009年10月11日に広島・長崎両市が正式発表[4][5] するも、わずか2ヵ月後の同年12月に国際オリンピック委員会に却下された[6]。 2010年1月15日長崎市の共催断念[7] を受け、広島市単独で開催する「ヒロシマ・オリンピック構想」に移行した[8] が、市長交代などにより広島での開催誘致そのものものちに白紙撤回となった。 概要発想は、「平和の祭典」と呼ばれているオリンピックを被爆地である広島市と長崎市で開催することで「核兵器廃絶」と平和の尊さを世界に訴えるというものである。 オリンピック憲章にある1箇所開催原則を覆そうとした日本で初めての構想であり、もし実現すれば124年続く近代オリンピックの歴史で初めての複数都市での共同開催になった。また、夏季と冬季の3度日本で開催されたオリンピックは全て東日本であるため、もし実現すれば近畿地方以西の西日本としては初開催となった。 メインスタジアムを中心として競技会場が集中するコンパクトなものではなく、広島と長崎を中心とした複数都市による広域で開催しようとしたのも特徴。 その理念のため全国様々な人から賛同されたが、後述のように秋葉忠利広島市長と田上富久長崎市長だけで構想を固めいきなり発表し、すぐに国際オリンピック委員会(IOC)および日本オリンピック委員会(JOC)から却下されたため、共催実現に向けた具体案は何もなかった構想でもある。このことがヒロシマ・オリンピック構想移行後もネガティブに働くことになる。 招致活動意思表明秋葉市長は2008年9月15日発行広島市広報誌内のコラムで、「将来の夢」として広島と長崎が共催してオリンピックを行いたいと明かしたものの、この時点では「現実からは遠い夢」と記していた[9]。これに、「核なき世界」を公約にしたバラク・オバマがアメリカ合衆国大統領に当選し、2009年4月にオバマ大統領がプラハでの核兵器廃絶に向けた演説「プラハ演説」を行ったことが追い風となり[10]、秋葉市長は田上市長に招致の意思を提案し、田上市長がこれを了承した[1]。 2009年8月、長崎市で開催された平和市長会議でも共催招致を発言[11]、結果この会議の行動計画に「2020年までに核兵器廃絶を実現した暁には、オリンピックを広島・長崎両市で開催して祝うことができれば喜ばしい」[12] という一文が盛り込まれた。 2009年10月2日第121次IOC総会で2016年夏季オリンピックがリオデジャネイロオリンピックに決定(つまり東京は落選)し[13]、同年10月9日プラハ演説を行ったオバマ大統領へのノーベル平和賞授与が発表された[14] 後、同年10月11日秋葉市長と田上市長は2020年夏季オリンピック共同開催に向けて招致検討委員会を設置することを正式に表明した[4][5]。 なお、2010年春までに正式に名乗りを上げるかどうかを最終判断することとした[15]。 開催都市拡大へ両市長は当初から、秋葉「これまで大都市の単独開催が慣例だった五輪を複数都市で共同開催することで五輪の新たな可能性や展望が提案できる」、田上「被爆地ができる新しいチャレンジだ」と、広島・長崎を中心とする複数都市への招致を念頭に置いていた[16]。そこで、地理的に双方の間に位置する都市やその近隣、あるいはこの五輪開催の意味を判りあえる自治体に、今回の五輪招致検討委員会への参加を呼びかけた。さらに招致検討委員会には参加しないが応援サポートに回る「五輪応援委員」としての参加をも各自治体に呼びかけた。 これに、福岡市は委員会には参加せず福岡オリンピック構想でのノウハウを提供するアドバイザーの立場で協力すると答えたものの、いくつかの自治体は正式に参加すると表明した[17][18][19][20]。その中で特に反応を示したのが橋下徹大阪府知事である。過去に大阪オリンピック構想において招致失敗したことから2020年五輪に再立候補しようとしたが、広島・長崎構想が発表されると一転して大阪市と共にそちらの招致検討委員会への参加を表明した[21][22]。後のヒロシマ五輪構想において、広島県以外の知事で唯一招致検討委員会に参加しているのはこのためである。 同年12月12日、1府4県の計23自治体の幹部が出席した第2会五輪招致検討委員会が開かれ、この五輪開催の意義を再確認した[23]。なおその後のヒロシマ五輪構想移行後も参加自治体は増えつづけ、最終的には招致検討委員会26+応援委員182+アドバイザー1の計209自治体が参加することになった。 一方で石原慎太郎東京都知事は、2020年オリンピックに再立候補(2020年東京オリンピック構想)することをJOCに正式に表明した[24]。 地元の反応両市長はこの構想発表の際に、JOCだけでなく広島県庁および長崎県庁、地元財界およびスポーツ関係者など各種関係機関に事前に根回しをしていなかった。秋葉市長は「国内の候補都市決定まであと1年しかない、時間の制約があった」ためと弁明している[25]。また広島市の幹部は、東京五輪招致落選から9日後でオバマのノーベル平和賞受賞から2日後に五輪招致を発表したことから、「関係者への事前の根回しより発表のタイミングを優先した両市長のパフォーマンス」であったと述べている[26]。 主な反応は以下のとおり。 被爆者団体 県知事
県体育協会
なお広島の放送局・中国放送(RCC)が市民200人に対面世論調査をした結果では賛成が63.5%に対し反対が18.0%という結果であった[25]。 JOCとの交渉とその後2009年10月13日、秋葉市長は長崎市の関係者とともに上京し、総理大臣官邸で松野頼久内閣官房副長官と会談しオリンピックを被爆地で開催することの意義を説明し、その後市原則之JOC専務理事と面会し検討委の設置を報告した。これに対し竹田恒和JOC会長は歓迎を表明した上で、東京落選の原因分析を終えてから検討すると慎重な姿勢を見せた[37]。 同年12月7日から9日まで、スイス・ローザンヌで竹田JOC会長はIOC幹部と協議を行い、この中で1都市開催をうたったオリンピック憲章の変更は不可能であると返答された[6]。 同年12月25日、JOCは訪れた秋葉広島および田上長崎市長と会談、共催は認められないと正式に回答した[6]。 これを受け、翌2010年1月15日に長崎市は正式に五輪誘致を断念、広島市は誘致活動続行を宣言したため、広島市単独開催する方針に移行した[8]。その直後に西日本各自治体による第3回検討会議で、今後は広島市単独開催を目指す「ヒロシマ・オリンピック構想」を推進することになったが、広島市長の交代や、東日本大震災後の世相などから、広島での開催を完全に断念した。 →以後の経過についてはヒロシマ・オリンピック構想を参照
利点欠点上記の通り、共催に向けた具体案のない構想である。ただ当初からメディアなどでいくつかメリット/デメリットが論議されていた。 利点
欠点
脚注
関連項目
外部リンク
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