ノーベル平和賞
![]() ![]() ノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルはスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにした。平和賞のみ、スウェーデンではなくノルウェー政府が授与主体である。ノーベル平和賞のメダルは、表面にはアルフレッド・ノーベルの横顔(各賞共通)、裏面には三位一体を表現した図案「Pro pace et fraternitate gentium」の文が刻まれている(受賞者名も刻まれる)[4]。 概要創設者のノーベルは遺言で、平和賞を「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すべしとしている[2][3]。他のノーベル賞と異なり、団体も授与対象となっているのが特徴である[3]。政治情勢の影響を受けやすく、第一次世界大戦、第二次世界大戦の時期等、受賞者がないことも見られた[3]。 当時業績とされた実績が後から欠陥があったり、効果のないものと判明したりするために失望を招くことが多発している。そのため、賞の価値が批判されるなど受賞者選定や賞そのものの妥当性が度々指摘されており[5][6][7]、廃止の声も上がっているという。 また、受賞前の実績だけではなく、受賞後の政治的情勢を誘引する目的で贈られる場合もある。賞は、12月10日午後1時(現地時間)からオスロのオスロ市庁舎で授賞式が行われる。 選定方式
毎年の受賞は最高3人。選考はノルウェーの国会が指名する5人の委員と選考を取り仕切る1人の書記で構成されているノルウェー・ノーベル委員会が行う。各国に推薦依頼状(通常非公表)を送り、推薦された候補者より選ばれる。2013年には259の個人と組織(うち50の組織)の推薦があり、過去最大の数とされている[8]。受賞が決まるのは例年10月頃。候補者の名前は50年間公表されない[8]。個人の場合は生存していること、組織の場合は現存することが条件であり、物故者への追贈はない。死後この賞を受けたのはダグ・ハマーショルドのみ(存命中に授与が決定していたため)[8]。 トマーシュ・マサリク、ウィリアム・ハワード・タフトなどの政治家、ニコライ2世、ハイレ・セラシエ1世といった君主、レフ・トルストイ、ピエール・ド・クーベルタンなどが候補となっていたことが公表されている[8]。 現在では独裁者とされる人物が推薦された例もある。1939年にはアドルフ・ヒトラーが推薦されているが、これは反ファシズムの立場を取るスウェーデンの国会議員によるもので、皮肉を意図したものであったとされる[8]。しかし武田知弘によると、推薦したのはエリク・ゴットフリード・クリスティアン・ブラントでこのジョーク説は第二次世界大戦後にノーベル平和賞委員会とブラントの後付けの言い訳にすぎず、1938年9月に開かれたズデーテン割譲を巡るミュンヘン会談の結果を受けて世界に平和をもたらしたとして、ネヴィル・チェンバレンが称賛されたようにイギリスとドイツに挟まれるスウェーデンは大戦回避をもたらしたヒトラーを推薦したとしている[要検証 ]。しかし推薦を受けた直後の1939年9月にナチス・ドイツはポーランドに侵攻を開始したため推薦は取り消された[9]。他にベニート・ムッソリーニ、ヨシフ・スターリン、フアン・ペロン夫妻もノミネートされているが、受賞には至っていない[8]。 ジェーン・アダムズは1916年に初めて推薦を受けて以来、1931年に受賞するまでにのべ91回の推薦を受けた。これは推薦を受けた回数としては最多のものである[8]。 賞金賞金額は1901年当時の賞金額を、その年の貨幣価値に換算されたものが贈られる[10]。2012年以降、平和賞の賞金は一つの賞あたり、800万スウェーデン・クローナとされている[8]。このため共同受賞となった場合には、受賞金額を受賞者達で分け合うことになる。1976年に受賞したベティ・ウィリアムズ、マイレッド・コリガン=マグワイアの組織は、賞金の分配でもめてバラバラになってしまった[要出典]。 論争と批判→「ノーベル賞を巡る論争 § 平和賞」も参照
医学・物理・化学の科学3賞は、業績に対してある程度客観的な評価と期間を経て選考決定される。しかし、ノーベル平和賞は「現在進行形の事柄に関わる人物」も受賞対象になり、毎年選考に向けて、選考委員に対するロビー活動や政治行動が多く起こるため、選考結果を巡り、世界中で度々論議が起こる。科学3賞や、賞そのものに対して批判のあるノーベル経済学賞と比べ、政治色が強くなりがちである。平和賞受賞者が、その後に世界の失望を招くこともあり、問題視されている[11]。 1974年の佐藤栄作元首相のノーベル平和賞受賞については、ベトナム戦争支援政策、中国敵視外交などを進めた佐藤の受賞を疑問視する意見もあり、フランスの『ル・モンド』紙は「驚くべき、異議のある決定」と批判している[12]。 2020年に『ニューヨーク・タイムズ』は過去30年間のノーベル平和賞受賞者のうち、当時業績とされたものは後から考えると欠陥があったり、効果のないものと判明したりした6人の「疑わしい」受賞者として、エチオピアのアビィ・アハメド首相(2019年受賞)、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問(1991年受賞)、イスラエルのシモン・ペレス元首相、同イツハク・ラビン元首相、パレスチナ解放機構のヤーセル・アラファト議長(1994年受賞)、韓国の金大中・元大統領(2000年受賞)、アメリカ合衆国のバラク・オバマ元大統領(2009年受賞)の名を挙げている。ノルウェー・オスロ国際平和研究所のウーダル所長も「最近では現在進行中のことに対して賞を授け、候補者たちが賞に見合った振る舞いをするよう促している」として「これは非常に危険な行為」と指摘している[6]。 ノーベル平和賞受賞者の一部は、戦争を助長したと思われる行動を取ったこともあり、「ノーベル平和賞でなくノーベル戦争賞と呼ばなければいけない」という皮肉もある[13]。特に中東和平問題について広瀬隆は、イスラエルとパレスチナ解放機構の秘密会談が行われた背景にアラブ人が不利になる可能性を指摘していた[注 1]。 ノルウェー外交による政治アピールの側面もあるとの見方もある。2015年10月9日付けの『ディ・ヴェルト』は「ノーベル平和賞における巨大な誤った決定」との見出しで、同紙が疑問に思う『ノーベル平和賞受賞者』を列挙した。
マハトマ・ガンディーはノーベル平和賞を受賞しなかった。死後数十年経ってからノーベル委員会が公表した事実によると、ガンディーは1937年から1948年にかけて前後5回ノーベル平和賞にノミネートされていた(1948年は暗殺の直後に推薦の締め切りがなされた)。これについてノーベル委員会は、ガンディーが最終選考に残った1937年、1947年、1948年の選考に関しウェブサイト上で以下のように述べている[34]。
受賞者1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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