廣木雄磨
廣木 雄磨(ひろき ゆうま、1992年7月23日 - )は、東京都昭島市出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 来歴兄の影響で小学1年生時から[4]サッカーを始める。2005年よりFC東京の下部組織に加入。守備的ポジションへと配されるようになり[4]、高い身体能力を誇る[1]サイドバック(SB)として定位置を確保。守備能力の高さからセンターバック(CB)でも起用され[5]、2008年のクラブユース選手権及び2009年のJユースカップを制した。同期は佐々木陽次、武藤嘉紀、江口貴俊、松藤正伸、三浦龍輝ら[1]。2010年にはトップチームに2種登録されている[6]。世代別日本代表ではU-16アジア選手権に全試合フル出場するなど、不動の左SBとして[7] 定着していた。 2011年、佐々木と共に東京学芸大学へ進学。全日本大学選抜にも選ばれていたが、2012年3月の練習試合中に右膝前十字靭帯を断裂し[8] 長期離脱を強いられた。2013年にかけて復調し[9]、対人守備の強さを発揮[10]。2014年には部の副将を務めた[11]。 2018年12月、ファジアーノ岡山へ完全移籍[12]。2019年はレギュラーとして36試合に出場したが、2020年は右足関節手術の影響もあり公式戦出場無しに終わった[13]。 2022年10月10日、契約満了を発表[14]。同年11月28日、カンセキスタジアムとちぎで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[15]が契約には至らず、オーストラリアに渡り同国の4部リーグに相当するナショナル・プレミアリーグ・ビクトリア3に所属するバルーンダーラ=キャリー・イーグルスFCでプレーした。 2023年9月26日、元所属クラブの岡山からの公式リリースや自身のSNSなどを通じて2023年シーズン限りで現役を引退することを発表した[16][17]。 人物2017年3月に入籍[18]。2018年8月に第一子の長女が、2020年5月に第二子の長男が誕生[19][20]。 所属クラブ
個人成績
代表・選抜歴
タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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