我妻悠香
経歴友達に誘われたのがきっかけで11歳からソフトボールを始めた[1]。2010年、星野高等学校1年生でインターハイ優勝を経験。高校卒業後、2013年に日本リーグの強豪ルネサスエレクトロニクス高崎[注 2]に入団。同年、世界ジュニア選手権メンバーに選ばれ金メダルを獲得した。 ルネサスエレクトロニクス高崎では北京オリンピック金メダリストの峰幸代が正捕手を務めていたが、峰が現役を退いた[注 3]2015年以降は出場機会が増えた。2015年には打率.414を記録してベストナイン(捕手)を受賞した。日本リーグ時代は6回[注 4]のリーグ優勝を経験した。 2022年にJDリーグが開幕すると、初年度はチームの優勝に加え、ベストナイン(捕手)の個人タイトルも受賞した[2]。 日本代表では、2016年・2018年・2022年・2023/24年の世界選手権/ワールドカップメンバーに選出されている。2021年に開催された東京オリンピックでは正捕手として上野由岐子や後藤希友などとバッテリーを組み、日本代表の金メダル獲得に貢献した。 2023年のシーズン終了をもって現役引退。2024年、ビックカメラ高崎ビークイーンのコーチに就任。2025年、現役復帰。 選手としての特徴経験に裏打ちされた的確なリードと強肩に定評がある。宇津木麗華が監督を務める日本代表チームでは多くの試合で先発出場している。ビックカメラ高崎ビークイーンや日本代表において、長年にわたり上野由岐子とバッテリーを組んでいる[3]。 人物・エピソード小学6年生でソフトボールを始めた時から捕手一筋。ルネサスエレクトロニクス高崎入団時には北京オリンピックの優勝バッテリーでもある上野由岐子と峰幸代が先輩におり、最初は峰の捕球・送球・声出しなどのすべてを参考にして学んだ[4]。 ニックネームは『ガッツ』。肩幅が日本一であることを自負している[5]。 東京オリンピック日本代表として金メダルを獲得した功績をたたえ、2021年12月16日、JR東浦和駅前に記念のゴールドポスト(第32号)が設置された(ゴールドポストプロジェクト[6])。 詳細情報日本リーグ個人表彰
JDリーグ個人表彰
背番号
受章歴脚注注釈
出典
外部リンク
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