1901年(明治34年)の大日本双輪倶楽部秋季大競走会の自動車レースを写した写真。
日本における最初の自動車レース()は、日本における史上最初の自動車レースに対して用いられる呼称である。どういった前提(定義)を用いるかによってその対象となるレースが異なるため、特に四輪自動車について、この呼称が用いられるレースは複数存在する。
二輪
四輪
脚注
注釈
- ^ 1910年(明治43年)に上野(不忍池)で開催されたのが初だとする説があるが[1]、その時点で不忍池の周回路が残っていたのかは定かでない。
- ^ 余興ではなく興行として開催された二輪自動車レースとしても、本格的な二輪自動車レースとしても史上初のレースにあたる[4]。
- ^ このレースは通過したのみなので、日本で開催された初のレースという位置付けで語られることはない。日本とモータースポーツの初期の接点として、しばしば言及される。
- ^ ここで言う「興行」は「四輪自動車のレース」という扱いで開催され、かつ観客から料金を取る形式で開催されたものということを意味する。この興行は翌月に関西地方(鳴尾競馬場)でも開催されたが、単発の開催で終わり、主催者も帰国したため後につながらず、加えて、この興行は見世物としての要素が強かったため(詳細はこのレースの記事を参照)、1922年の例が「本格的な開催」の始まりとみなされている。
- ^ この場合の「本格的な」とは、「真剣な競技として行われた」ということを意味する。第1回大会が初の例とされることが比較的多いが、第1回大会はタイムトライアル形式として開催されたことから、異論もあり[18]、複数の自動車が同時に走行してレースを行った最初の大会である、翌年の第2回大会が実質的には最初の本格的なレースだったとする説もある[19][20]。
- ^ 日本で活動していた英字新聞である『ジャパン・アドバタイザー』は第1回大会を「preliminary trials(予行練習)」とみなして、実質的にはこの第2回大会が最初のレースだったと述べている[23]。その後も、同じ結論に至ってその解釈を述べているケースが複数存在する[19][20]。
- ^ 全日本自動車競走大会の第1回大会とされることが多いが、1934年に月島4号埋立地(晴海)で開催された大会を第1回大会とみなして、この大会を第2回大会としている例もある[24]。
- ^ 「最初の自動車レース」というより、「日本におけるモータースポーツの幕開け」という位置付けにより[27]、しばしば言及される。
出典
- 出版物
- ウェブサイト
参考資料
- 書籍
- 雑誌 / ムック
- 『Old-timer』各号中の記事
- 岩立喜久雄「轍をたどる(18) 戦前自動車競走史-1 追想オートバイ競走会」『Old-timer』第69号、八重洲出版、2003年4月1日、166-171頁。
- 岩立喜久雄「轍をたどる(20) 戦前自動車競走史-3 関西競走界と鳴尾競馬場の記録」『Old-timer』第71号、八重洲出版、2003年8月1日、166-173頁。
- 新聞
関連項目
- 上野不忍池競馬 - 1901年と1902年の自転車大会は、どちらも不忍池競馬と同じ周回路を使用した。