日本バレエ協会
公益社団法人日本バレエ協会(にほんバレエきょうかい)は、日本国内におけるバレエの普及・振興を目的とする公益社団法人。バレエを職能とする者、若しくは将来バレエを職能としようとする者を会員として昭和33年(1958年)に結成された。主務官庁は内閣府で、東京を本部として全国地方別に13支部を置いている。会員数約2,600名。日本芸能実演家団体協議会加盟。 沿革大正・昭和の戦時期において一時途絶した日本のバレエは戦後すぐに復活したものの、東京バレエ団の解散以降、独立独歩の小カンパニー乱立状態が出現した。しかしながら歴史的バックボーンを持たず、また本場の優秀指導者に導かれることなく、どちらかと言えば自己流で育ってきた日本バレエの実力は欧米各国のそれに比し著しく稚拙である事は否めなかった。殊に戦後の相次ぐ欧米バレエ団の来日公演でそれを痛感させられることとなり、個々のカンパニーや個人が個別にバレエ技術や公演実施のノウハウの習得に努めても欧米の実力レベルに達するには膨大な年月を要するとの認識が関係者の間に広がった。そこで連合してこれに対処するために、東勇作、貝谷八百子、小牧正英、島田廣、橘秋子、谷桃子、服部智恵子、松山樹子、横山はるひ等、戦前・戦後まもなくのバレエ界を牽引してきた関係者を設立発起人に結成されたのが日本バレエ協会である。 元々欧米、特にヨーロッパ諸国においてバレエは国家文化的芸能として保護・育成されてきたが、当時の日本には国公立のバレエ学校・バレエ団が存在せず、ダンサーの育成は市井の民間教習場に依存していた。またカンパニーによる公演活動は殆ど身銭を切って行わなければならなかった。日本バレエ協会はこのような時代において、ダンサーには踊る舞台を、振付家には作品発表の場を提供し、その育成に努めてきた。 また昭和期において日本のバレエは極端な首都圏集中型にあったが、それを是正すべく全国各地におけるバレエ振興・育成に力を入れ、地方都市からの優秀な人材輩出に貢献してきている。
歴代会長組織
人材育成を目的とする事業
公演事業
顕彰事業
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