旧石原家住宅
旧石原家住宅(きゅういしはらけじゅうたく)は、愛知県岡崎市六供町杉本70にある邸宅。主屋、土蔵、庭門が登録有形文化財。旧石原東十郎家住宅とも[2]。 歴史石原家の歴史石原家は米穀業や金融業を生業とした商家である[3]。岡崎城下の総持尼寺の寺領にあり、江戸時代には三河国額田郡六供杉本村の庄屋を務め、明治維新後には六供杉本村の戸長を務めた[3]。幕末には石原東十郎が養子に入って4代目となり、安政6年(1859年)に現存する主屋や土蔵が建てられた[3]。 石原家は総持尼寺との縁により公家との交流が多く、勤王家を自宅に迎えたこともあると伝わるほど隆盛な家柄だった[4]。家業は昭和期戦前まで続き、太平洋戦争中も特に戦禍に遭うことはなかったが、戦後は廃業した[4]。 戦後の動向戦後は改装してピアノ教室などを営んでいたが、1978年(昭和53年)に主屋を創建当時の様式に改修し[4]、1985年(昭和60年)まで主屋が料亭として活用された[3][5]。ほか、喫茶店などとしても活用された[4]。 近年の動向![]() 2004年(平成16年)には書描家の大辻織絵が住宅を継承した[4]。 2011年(平成23年)7月25日、主屋、土蔵、庭門が登録有形文化財に登録された[1]。2013年(平成25年)8月には岡崎市によって岡崎市景観重要建造物に指定された[6]。2014年(平成26年)10月には、愛知登文会によって登録有形文化財の特別公開(後の「あいたて博」)が初めて行われたが、この際には旧石原家住宅も特別公開を実施した[7]。 2015年(平成27年)には大辻によって町家アート・ミュージアムとして公開が開始された[4]。2016年(平成28年)8月から10月にはあいちトリエンナーレ2016の会場となり、現代アートやインスタレーション作品が展示された[8][9]。「あいたて博」では主屋を活用し、作品の制作・展示のほか、複数の居室でインスタレーションを展示する[4]。 建築![]() 場所は甲山古墳の下方を抜ける古道に面し、間口は18メートル、出格子が目を惹く外観となっている[4]。安政6年(1859年)に主屋と、その東南に主屋と向かい合う形で土蔵を建築し、棟梁はいずれも藤原大野源兵衛泰明である[3][10]。主屋の裏手に土間があり、炊事場が据えられている[4]。 庭門の竣工年は昭和前期と推定されている[3]。裏手の門から敷地をみると、小振りな石橋があり、その奥に塀に囲まれた苔庭がある[4]。 以下の主屋、土蔵、庭門の3棟が登録有形文化財に登録されている[10]。
脚注
参考文献
外部リンク
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