星影のワルツ
「星影のワルツ」(ほしかげのワルツ)は、1966年3月24日に発売された千昌夫のシングル。 解説アレンジを変更して再録音したものが1968年3月に再発売されている[1]。 当初のA面曲は「君ひとり」であった。1966年発売ながら、1968年に集計が開始されたオリコンチャートの集計では170万枚を超える売上を記録した。 1966年の発売当初は売れ行きは低調であったが、千自身がこの曲を気に入って歌い続け、全国の有線放送に働きかけてヒットへ導いた[2]。1967年頃から各地の有線放送で火がつきはじめた[3]。累計売上は250万枚[1][4]。 日本国外でも歌われており、まず台湾で「星影的別離」として発売、続いて香港・シンガポール・マレーシアへと広まった[2]。マレーシア出身の演歌歌手荘学忠・劉秋儀によって「星夜的离别」と言うタイトルでカヴァーされている。 「星影のワルツ」の歌詞はミノルフォンレコード第二制作部長が作曲者の遠藤実のところに持ってきた、作詞の同人誌『こけし人形』に収録されていた白鳥園枝の四行詩「辛いな」に歌詞を追加して改題したものである[5]。 チャート推移オリコンシングルチャートでは1968年4月29日付で8位に入り初のトップ10入りを記録[6]。6月3日付では1位を獲得[7]。7月8日付にてザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」に首位の座を受け渡すが[8]、8月19日付にて1位に返り咲いた[9]。10月7日付まで24週にわたりトップ10に滞在した。 オリコンを使用した売り込み千は「星影のワルツ」が有線放送で火がついた頃、当時創刊されたばかりの『総合芸能市場調査(後の「コンフィデンス」)』誌のランキングで自身の名前が記されているところに赤線を引き、それを見せて放送局を回ったという。オリコン創業者の小池聰行は、オリコンをプロモーションに使った最初の歌手だろうとしている[10]。 人権問題における誤解関西の人権団体を中心に、「星影のワルツ」が差別によって泣く泣く引き裂かれた結婚差別を歌ったもの、という間違った認識が定着してしまった。これは、京都府下在住の人物が作詞者に原詩を売却したという話が、人権団体を中心に広まったものである。全国各地の人権研修会で「星影のワルツ」を題材にした講演会が開催されている。 収録曲収録アルバムここでは「星影のワルツ」を収録したオムニバスアルバムを年順に列挙する。
カバー
脚注
関連項目外部リンク
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